893の謎
ところで、「やくざ」という呼称自体、賭場で生まれたものだというのを知っていますか? 「893」という数字の組み合わせは、博奕で最も弱くてダメな数字の並び、なのです。そこから、「893=やくざ=世の中の役にたたない者」という呼称が誕生したのだそう。
念のため、「893」の数字について、もう少し詳しく解説しますと。前回の記事でもチラッと触れましたが、明治以降は「手本引き」という博奕が(主に関西で)流行しますが、その他にも、カブ札を使う「オイチョカブ」(近世から)、花札を使う「アトサキ(バッタマキとも)」(明治から)などの博奕がポピュラーに行われていました。細かいルールの相違はありますが、これら(オイチョカブ、アトサキなど)に共通するのは、「札を3枚(もしくは2枚)引いて、その合計の『1の位』が9に近いほど勝ち」というもの。ということは、3枚の合計の『1の位』が0になる組み合わせが最も弱いことになりますよね。つまり、それは、合計が10とか20の場合で、例えば20=8+9+3ですから、「8 9 3」は最もダメな数の並び、ということになるのです。
ヤクザとバクチは、切っても切り離せない関係
しかし、そもそも過ぎる話になってしまいますが、任侠映画には、なぜ必ず博奕シーンが出てくるんだろう?、って思いませんか? 私は素朴にも、思いました。たとえ別事業でメイン収入を得ているような組織でも、賭場を必ず運営するし、祝いの場や手打ち式などのイベントでも、必ず賭場を開くし。なにかというと、賭場、博奕、博打なんですよね…(注:あくまでも過去のやくざ文化の話です)。やくざさんが博奕好きなのはいいけど、なぜ必ずバクチ? ほかにやることあっても良さそうなものなのに? と、ちょっと不思議でした。
確実に言えるのは、江戸時代の昔から、やくざとバクチは切っても切り離せない関係だった、ということです。基本的に、やくざ者は既成のコミュニティからはずれてしまったアウトローですから、生きていくために自力で現金を得なければなりません。そこで手っ取り早いのが、バクチ。つまり、バクチは、「てっとり早くまとまった現金を手に入れる方法」として最もポピュラーだった(そして、他に方法がなかった)、ということなのではないでしょうか。
また、江戸時代から、バクチは表向き禁止されていたため、カタギの者が賭場を運営するということはほぼ無く、賭場は、そのスジの者が運営するものでした。そして、そのマージン(関東ではテラ銭、関西ではカスリ)が、その賭場を運営する組織の収入となっていました。明治以降もこうした「習慣」は不文律として続いており、このような「博徒」をオリジンとする老舗組織は今も存在していて、「博徒系」と呼ばれたりします。
念のため記しておくと、昔の賭場は、おそらく今で言う「ゲームセンター」みたいなものだったのでしょう(昔は娯楽がそうないですから)。賭場に遊びに来る客も、ヤクザ者やプロの博徒(パチプロみたいな)だけでなく、リッチなカタギの人々(旦那衆)もたくさんいて、運営側は「いかに旦那衆に気持よく遊んでもらうか」ということに腐心しつつ、賭場をマネジメントしていたそうです。
そうそう、前回の記事で書いた、藤純子の実父にあたる俊藤浩滋プロデューサーも、戦中に近くの賭場にカタギの客として出入りしたことから、任侠界を垣間見ることになり、戦後、東映で仁侠映画ジャンルを作り上げることになったのです。以下、俊藤浩滋氏の聞き書きから。
博奕場には、電球に真っ黒の頭巾を被せて、いつも三つぐらいの賭場が開かれていた。旦那がするのと、港の人夫のような連中がするのと、中ぐらいのと。博奕は、札を使う「手本引き」と、札のかわりにサイコロを使う「賽(さい)本引き」の二種類で、素人はみな賽本引きのほうをやった。
いまと違うて、博奕は現行犯で、やってるところを捕まらねばよかったから、博奕場にはちゃんと見張り番がいて、警察がやってきたときには盾になって、その隙にお客さんを安全に逃がした。自分らは捕まってもいい、職業だから。けれど、もしお客が警察に挙げられたら、親分の顔が潰れるわけで、昔の博奕打ちの連中はものすごく堅かった。
『任侠映画伝』(俊藤浩滋・山根貞男 講談社)より
ちなみに、こうしたある意味で「任侠界の理想」のような世界は、おそらくほんの一部であり、戦後はそれこそ『仁義なき戦い』のごときカオス状態を経て、現行犯以外でも賭博罪で検挙できるようになり、暴対法、暴排条例なども施行され、今に至っています。なので、こうした「任侠界の理想」は、「古き良き時代のファンタジーであり歌舞伎」だと思って、私は楽しんでおりますが(念のため)。
もちろん、現在は、公営の賭場(競馬、競輪、競艇、オートレース)があるし、パチンコも、サッカーくじも、宝くじも、普通にゲームセンターもあるし、というか、もう、その他いろんな娯楽があるわけで。組が運営する昔ながらの本格的手本引きによる盆、というのは既に一般的ではないでしょうね(一部の地域では今も盛んらしい…と聞いたことがありますが、真偽のほどはわかりません)。
日本ならでは? 精神修行としての博奕
それと、もうひとつ。これは、あくまでも私が本や映画などで感じたことですが、(ひと昔前の)彼らやくざ者にとっては、博奕は、伝統芸能というか、伝統文化としての意味合いがあったのではないか、と(たとえば、武士における、剣術のような)。また、彼らにとって、賭場は、金銭を得る場所であると同時に、修行の場でもあったのではないか、と(武士における、剣術道場のような)。
そう言えば、『完本 山口組三代目 田岡一雄自伝』(徳間文庫カレッジ)にも、以下のようなシーンがありました。
翌日から、わたしはゴンゾウ部屋に一日中閉じこもったまま、鏡に向かってバクチの練習をはじめていた。(中略)
鏡のまえに正座して、右手を懐へ入れ、懐のなかで札を繰ってみる。鏡を見て練習するのは、自分の癖を矯正するためであり、同時に、片時も寸分の隙をみせない姿勢を保つためでもある。
懐のなかで札を繰るときに右腕が動かないように、左手で右肘を固定させてみる。(中略)
ゴンゾウ部屋でただ一人、わたしは日の暮れるのも忘れて、毎日、鏡に向かって練習に余念がなかった。
これを読んだとき、「わー!日舞と同じだ!」と思いました。肩が、動くんですよ、人間って…。本当に上手な舞踊家さんは、肩をぐーっと落として、肩を動かさないでキープしたまま、いろんなフリを踊るんですが、至難の業。でも、なるべくそんな癖を矯正すべく、鏡に向かって肩を動かさないよう、師匠が特訓してくださっています。
と、閑話休題。それにしても、さすが山口組を巨大組織にまで発展させた、三代目組長。博奕(ここでのバクチは「手本引き」です)の猛特訓。しかも自ら率先して、自己トレーニング。わりとサラッと読み飛ばす部分かもしれませんが、私は「あー、これだな」、と思いました。
そんなわけですが、日本人って、本当にどんなことでも、「〜道」にしてしまいますよね? ここで言う日本的な「道」とは、「修行」と「権威化」とさらに「集金システム」の3要素が内包されたものだと、私は捉えております(良い悪いの問題ではなく、現実として)。
だけど、そのなかでも精神的・肉体的な「修行」の要素が、最も大切であることは、間違いありません。キモノを着るのも(衣紋道、着付道)、字を書くのも(書道)、歌をよむのも(歌道)、お花を活けるのも(華道)、お香も(香道)、お茶を飲むのも(茶道)、ぜんぶ「道」ですものね、日本では(笑)。もう少ししたら、蕎麦打ち道、寿司道、キャラ弁道なんかも出てきそうな…(銀座○○兵衞流家元江戸前寿司、みたいな家元制度になったりして)。なかなか、すごいことだと思いますよ、それって。そう考えたら、博奕道、当然、ありますよね〜。というか、既に、極道とか仁侠道なんて言葉もあったんだった(笑)。
修行大好き、日本人。私がなぜ昔からヤクザ映画・任侠映画に惹かれてしまうのか、自分でも今ひとつよく分からなかったんですが、もしかして、様式美云々、キモノ云々、健さん文太お竜さん云々、ということよりも、ストイックな修行を愛する日本人的な「道」の精神が感じられるから、そこになにか郷愁のようなものを感じてグッときてしまうのかも……。東映任侠映画、「あなたは『日本人的感性』の持ち主か否か?」を試す踏み絵(?)としても、結構、機能しそうな気がしたのでした。
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