好きな人を好きだと気づくのって、実はちょっと難しいことだと思いませんか? 「なんだか気になる」「いつの間にか探してしまう」「いつも必ず見てしまう」という過程を経て、「あれ、私、好き?」「いや、別に好きってわけじゃないんだけど…」とか自分で言い訳しているうちに、アッと気づいた時には、「好きになっちゃってルー!」と認めざるを得ない。そういう、なかなか自己認識が遅れがちなタイプ、っていますよね(私)。
という前置きをして、告白します。
わたくしは、猿之助が好きです!!!!
大ファンです!!!! 虜になりました!!!!(踊りの)
とにかく踊りがウマすぎる、猿之助の『奴道成寺』
というのもですね、今月(4月)の歌舞伎座の、市川猿之助による舞踊『奴道成寺』が、ほんとうにすばらしかった!!! あんな踊りを見せられたら、全面降伏状態。なにも言えません。とにかく、「私は、猿之助の踊りを、これから一生見ていく!」と強く思いました。それくらい、素晴らしかったのです。
特に、『奴道成寺』という踊りは、『京鹿子娘道成寺』のパロディ版。玉三郎さんが魅せるような美しく幻想的な世界とはまた違う、ユーモラスで可笑しくてウキウキするほど楽しい踊りなんです。『娘道成寺』とほぼ同じ曲を使うのですが、『娘道成寺』が女の踊りであるのに対して、『奴道成寺』は男である狂言師が踊るという(ちょっとふざけた)設定。で、そのなかで、面(おかめ、ひょっとこ、お大尽)を次々とつけかえながら踊るところが、最大の見せ場。猿之助が、次々と面をつけかえてその役に早変わりするところは、もう、100回くらい見たいほど見事でした。
歌舞伎や踊りに少しでも興味のある方は、「一幕見席」でぜひぜひ見に行ってみてください! 「日本の踊り」の楽しさを、たっぷり味わえることを保証します。「一幕見席」で見る方法については、以下をぜひ参考になさってくださいね。
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『黒塚』を見て、猿之助の踊りにド肝を抜かれた話
と、イキナリ冒頭から暑苦しくてすみません…。とにかく、猿之助丈の踊りの上手さといったら、ちょっとほかの人とは「次元」が違うんです。もちろん、ほかの歌舞伎役者さんも、そりゃあ子どもの時から英才教育を受けている方々ですから、とても上手です。だけど。そのなかでも、猿之助は、頭1つ分、抜きん出ている感じなんです。
私が猿之助の踊りに驚愕したのは、実は遅くて、2年前、2015年の歌舞伎座でした。玉様の『女暫』『蜘蛛の拍子舞』をお目当てに行ったのですが、たまたま見た、猿之助の踊り『黒塚』に度肝を抜かれまして…。そのときのtwitterでのつぶやきを発見したので、貼り付け。
歌舞伎座、昼夜。昼は玉様&中村屋兄弟の舞踊『蜘蛛の拍子舞』!夜は玉様の『女暫』!でも圧巻だったのは猿之助の舞踊『黒塚』。踊り、すごかった… #kabuki #歌舞伎 http://t.co/VV1ZDAY5z7
— 井嶋ナギ (@nagi_ijima) 2015年1月5日
なんかもう、ちょっと、すごすぎて、ボーゼン、というようすが伝わってきます(笑)。あまりにすごくて、涙ぐんでましたね。感動して。
この『黒塚』以降、とにかく、猿之助を見るのが楽しみになりました。いつもは3階席で節約する私が、猿之助の『義経千本桜』の四ノ切は、張り切って1階席の花道の真横で見ちゃったり(私にしては大フンパツです!)。私の数センチ横を、猿之助の狐忠信がサァーッと駆けていった後に、ふわーっと動いてきた空気の感触は、忘れられません。
…と、ハタから見たら、「充分、猿之助ファンじゃん!」って感じなんですが、私自身は「これを猿之助ファンと言っていいのだろうか?」と長らく悶々としておりました(笑)。というのも、「玉様、美しすぎる…! 神!」とか「キャー! 仁左衛門さん、ステキ〜〜! 愛人にしてほしい〜〜」みたいなファン心理とは、ちょっと違うんですよ。なんていうんでしょう、「あの踊りすごすぎるけど一体なに?」「あの体の動きどうなってんだ?」っていう、猿之助自身がどうこうっていうよりも、「猿之助の体がつくりだす芸」の凄さにただもう圧倒されている感じというか。サッカーとかの試合で、誰だかわからない外国人選手の凄いプレーを見て、「うわ今の何すげー!!」と思わず叫んじゃうような。究極を言えば、猿之助という役者のことは意識から消えてしまって、彼によってつくり出された「芸のかたち」に毎回、驚き、感動する感じなんです。
今年1月の、新橋演舞場でもそうでした。猿之助の舞踊『黒塚』を再び見まして、泣きました。絶品でした。このときのtwitterでのつぶやきも貼り付け。
昨晩の、1月新橋演舞場 夜の部。猿之助の『黒塚』。今回も素晴らしかった… 暗闇の中で踊る(正直言って)醜い老婆に、泣かされた。猿之助の踊り、好き嫌いはあれど、絶品だと思う。#kabuki pic.twitter.com/PgUJyS0OZ3
— 井嶋ナギ (@nagi_ijima) 2017年1月14日
正直言って猿之助にはあまり興味がなかった。なのに気づくと、猿之助の踊りが、どんな演目よりも楽しみな自分がいる(玉様は神なので別)。猿之助のファンか?と言われると分からない。でも、猿之助の踊りの大ファンであることは確かだ。これは、もう猿之助のファンなのだろうか?と、自問自答。
— 井嶋ナギ (@nagi_ijima) 2017年1月14日
猿之助の踊りは、全くブレない重心の安定感、体の部位を各々分離させて(ブレイクダンスのように)自由に動かすコントロール力、強弱メリハリ、リズム感、間合い、呼吸、全て凄い。
— 井嶋ナギ (@nagi_ijima) 2017年1月14日
若手歌舞伎役者で、肉体の技術としての踊りを見たければ猿之助かと!(日本舞踊家ならまた凄い人がいるので、別の話)
圧倒されてしまって、自分のなかで消化しきれず、アワアワしている感じが伝わってきます(笑)。
猿之助の踊りは、どのように素晴らしいのだろうか?
そもそも、踊りについて言葉で語ろうとすると、どう説明していいものか、いつも悶々とするのです。
日本舞踊というものが、今の時代においてメジャーではないため、踊り用語を使って説明しても通じない、というハンデもあります。例えば、野球だったら、「ストライク」「フォアボール」「三塁打」とか、まぁ通じますよね? でも、踊り用語で「おすべり」「トン」「要返し」と言っても、一般的にはピンとこないですし。そうでなくとも、踊りの「技術そのもの」について、言葉で説明するのはとても難しい。
踊りの評論のようなものを読んでも、どうも私がピンとこないのは、それが、「印象論」のようなものになってしまうことが多いからだと思うのです。つまり、「メタファー」を使って説明するしかない、というものになってしまう…。例えば、こういう感じ。「◯◯の踊りを見ている間、私の眼前には、花から花へと移り飛んでゆく蝶が見えた。確かに、それは存在したのだ」みたいな。もちろん、それが悪いとは言いません、そういった文学的な評論はうまくいけば素晴らしいと思うし、散文としての価値があると思います。でも、踊りの「技術そのもの」について語ることは、不可能なのだろうか?
…そんなことを、今年1月に見た猿之助の『黒塚』を見たときに思ったんです。これを、この猿之助の素晴らしい踊りを、印象論だけで語っていいものだろうか? と。そうなると、「そもそも舞踊ってなんだろう? ひとまず、舞踊は芸術のひとつのジャンルだとして。じゃあ、芸術ってなんだろう? というか、私は芸術をどういうものだと考えているんだろう?」という疑問が次々湧いてきてしまって、その時に「芸術と技術について、マジメに考えてみた」という記事を書きました。
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この記事からセルフ引用しますが、私は「芸術」の基本的な定義を、以下のように考えています。
「芸術」とは、「高度な技術を駆使してつくられた創造物」に接したときに、「受け手の内面に生じる感動」のことだ
どんなジャンルの「芸術」でも、まずは「技術ありき」。どんなに真剣に取り組んでいても、どんなに心がこもっていても、どんなに思いが深くても、高度な「技術」がなかったらそれでおしまい。人を感動させることはできないと考えます。
と、書くと、「でも、例えば、ヘタウマでも一生懸命取り組んだ成果を見て感動する、ということもあるんじゃない?」と言われるかもしれません。でも、それは「成果物」そのものに感動しているんではなくて、一生懸命やったその「人」に感動していたり(子どもの一生懸命さに感動する等)、自分の「過去の体験」が蘇って感動していることもあります(あるあるネタで感動する等)。それは全く別のことです(良い悪いではなく、ただ、違うものとして区別しました)。
そして、その技術というのは、とにかく地道な鍛錬の蓄積ナシでは、絶対にありえない。生まれつきの才能とか、親ゆずりの血だとか、そういうものは(遺伝子を解読してみければわかりませんが、全くないわけではないでしょうけれど)たいした差ではないと思っています。つまり、高度な技術というのは、ほとんどの場合、「この世に生まれてから、その技術の上達のために、どれだけの時間とエネルギーを費やしてきたか?」に尽きる。
ということを前提として、猿之助の踊りを見ると、「一体、この人は、どれだけの稽古を重ねて、こんなに踊りが上手になってしまったんだ?」と、恐ろしい気持ちになるんですよね。もちろん、歌舞伎役者の家の人は皆な、小さい頃から英才教育を受けていますから、うまくならないほうがおかしい、ということは言えますけど。
でも、そんな英才教育を受けた人たちのなかでも、猿之助の踊りは、「巧さ」でナンバー1だと思います。ただし、「巧い」とは違うべつの評価軸もあるので、ほかの役者の踊りが駄目と言っているのではありませんよ、念のため。(たとえば、「幻想美」「粋」なら玉様、「端正美」なら七之助、「色気」なら仁左衛門さん、「華」なら海老蔵、だと私は勝手に思ってます)
今月の歌舞伎座は、実は、私の踊りの師匠である花柳美嘉千代先生をお誘いして行ってきました。師匠はプロですから、踊りを見る目は正直とても厳しいです。その師匠が猿之助の『奴道成寺』を見てどのように仰るか? 私は楽しみにしてました。
で、今回の『奴道成寺』を見た直後。「素晴らしかった〜〜!」と、師匠も大絶賛。もちろん、もともと先生は猿之助の踊りについて「すごい」と仰っていましたが、「改めて、彼の踊りは、本当にスゴイ…」と。その後はしばらく、師匠と弟子で興奮さめやらず、踊り談議で大騒ぎでした。
花柳美嘉千代師匠に、「猿之助の踊りのどこらへんが凄いと思いましたか?」と尋ねてみたところ、以下のようなことを仰っていました。
■ 踊りを完全に「自分のもの」にしていること
■ 見る者を引きつけ楽しませようとする力・意識の強さ
■ 手の指先、足のつま先に至るまで、すべてに気を配っていること
■ それでいて余裕さえ感じさせるところ
■ 力を入れるところと、力を抜くところの、メリハリが抜群
■ たまにドヤ顔でキメるところもあって、可愛さたっぷりなところ
■ 3つの面をあんなに数秒単位でこれでもか!というくらい頻繁に早変わりするのは、初めて見た
とのことでした。勉強になりますねぇ。プロの方は同じ踊りを見ても、私みたいなシロウトが見えない領域まで見えます。なので、先生に対していつも怒涛の質問攻めになってしまう私ですが、「プロの方はこういう視点で見ているのだなぁ」という新しい発見があるのが、いつもすごく楽しいのです。
ちなみに、私が私なりに感じた猿之助の踊りの凄さは、以下です。
■ 音楽にノリノリにノっていて、後ろに並んでいる長唄連中などの地方さんをリードする勢いだったこと
■ 何をやっても、どんなフリでも、どんな時でも、音とリズムと体が「一体化」していること
■ 言い換えれば、そのくらい自由自在に体をコントロールできること
■ 体幹が安定していて、どんな動きでもブレないこと
■ ムダがなく、ノイジーな動きがないこと
でしょうか、でも私の拙い言葉では、あの素晴らしさの万分の一も言い表せません…。
とにかく、素晴らしかった!(としか言いようがない) そうそう、拍手もいつもよりすごくて、万雷の拍手でしたね。あんなに大きな拍手は、毎月歌舞伎座に通っていても、本当に素晴らしい時にしか起こりませんから。やはり特別に素晴らしいものは、一般のお客様にも通じるんだなぁ、と、思った次第。私も、幕見席でまた見に行くつもり! あと2回は見たいかなぁ。行けるように頑張りたい。
猿之助の『奴道成寺』、今度またいつ見られるかはわかりません。とりあえず、現在41歳の猿之助の、パワーあふれる年齢での『奴道成寺』を見逃すな!!! と、煽っておこうと思います(笑)。
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「踊りを「体感する」ということ。 〜『京鹿子娘五人道成寺』『二人椀久』in 歌舞伎座」
■ 2006年 玉三郎×菊之助『二人椀久』を見たときの記事
「【歌舞伎・日舞】 『二人椀久』@歌舞伎座」
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「玉様&七之助の『二人汐汲』 〜もしくは、あまちゃんと汐汲み女の謎について。」
■ 月影屋・重田なつき ✕ 井嶋ナギ 連載対談
『ナギと!なつきの!高いもん喰わせろ!』
「第2回 歌舞伎座に行って参りました」
■ 「【日本を知るための100冊】006:高遠弘美『七世竹本住大夫 限りなき藝の道』 〜年齢を重ねることで到達できる領域について。」
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