井嶋ナギの日本文化ノート

【日本を知るための100冊】008:『孤獨の人』 〜皇太子と学習院クラスメイトの孤独を描いた、隠れた傑作文学

ついに平成が終わり、令和になりました。というわけで、しばらく放置状態になっていたブログを、再開させようと思っています。

ここ数日、平成の明仁天皇(本日からは明仁上皇)関連の番組が連日放送されていましたが、私はそうした番組を横目で見ながら、この小説を再読していました。

孤獨の人』藤島泰輔・著(岩波現代文庫)

『孤獨の人』藤島泰輔
この作品は、「明仁皇太子をめぐる、学習院内部の男子生徒たちの心の揺れ」を繊細に描いた、大変珍しい小説です。

発表されたのは、今から63年前の1956年(昭和31年)。当時はゴシップ的側面が主にクローズアップされ、映画化もされましたが、今ではもうあまり取り上げられることもないようです。が、とんでもない。今でも読まれるべき、いや、令和になったからこそ読まれるべき本だと思います。これ。


まずは、以下の点からも、今読まれるべきだと思うのです。

■まず、純文学として野心的で、格調高いこと。

■著者の藤島泰輔氏は、実際に、学習院での明仁皇太子の「ご学友」だったこと。

■明仁皇太子を美化することなく、「一人の若者」として描いていること。

■「神」から「人間」になった皇族をどう受けとめていいのか、という「迷いや混乱」が描かれていること。

■戦後の転倒した価値観のなかで、戸惑う人と、戦前の価値観に戻る人(逆コース)、が描かれていること。

■いわゆる「スクールカースト問題」が描かれていること。

■序文は、三島由紀夫

■著者の藤島泰輔氏は、ジャニーズ事務所副社長のメリー喜多川氏の夫であり、 藤島ジュリー景子氏の父親であること。


などなどでしょうか。つまり、「文学としての格調高さ」と「当時の時代相」と「ゴシップ」とが渾然一体になって詰め込まれている、なかなかない稀有な作品だと思うのです。

あ、ゴシップというのは、決して悪い意味で使っていません。小説というジャンルは古今東西、ゴシップという材料をつかって、人間特有の好奇心をバネにして、それをはるかに超えた理解や感慨を生み出す作品に満ち満ちているものなので。ゴシップは、決して悪いものではないと考えます。



皇太子を中心にした、スクールカースト学園恋愛小説


この作品で描かれる、戦後すぐの学習院内部ソサエティのルールは、ただひとつ。「宮(皇太子)と親しくなった者が、そのコミュニティの支配者になれる」というもの。「スクールカースト」という言葉が定着した現代日本においては、わりと理解しやすいルールではないでしょうか。

だけど、ルールに完全に従順な者や、ルールに最初から興味のない者は、ある意味でラクなんですよね。身のふり方に迷いはありませんから。そこで一番困るのは、「本当はそのルールに従って勝者になりたいのだけど、プライドや恥ずかしさや恐れから、そのルールに背を向けてしまい、苦しむ」という、アンビバレントな心理状態に陥ってしまう場合。アルアル、です。アルアル過ぎて、心が痛い(笑)。そしてこの小説の主人公・吉彦は、まさにこのタイプでした。

吉彦は、中等科から学習院に入った生徒。実業家の息子でお金持ちだけど、学習院のなかでは「外様」です。

ちなみに、当時の学習院内のカーストについて言えば、当然ながら、中等科から入った生徒より、初等科から入った生徒のほうがエライし、初等科から入った生徒より、幼稚園から入った生徒のほうがエライ。また、戦前に爵位をもっていた華族出身のほうが、平民出身者より、エライ。

そんな身分制のなか、自分が不利なスペックの持ち主だった場合、人はどのように振る舞うものでしょうか? おべっか使ってでも他人から笑われても、成り上がってやる! とガツガツ行動するか。そんなみっともない真似するくらいなら、別にその他大勢で構わんよ、と知らんふりするか。人には自尊心がありますから、大半の人は後者でしょうね。

本作の主人公・吉彦もそうでした。それどころか、ご学友メンバーに入らないか?という狂喜すべきお誘いがあったのに、「俺はいやだよ。殿下とつきあうの」と突っぱねる始末…。そのくせ、宮が気になって気になってしかたがない。気になるのに、ツンツンする。好きなのに、嫌いなそぶりをする。ああ、これは完全に恋愛小説の典型的パターンではないですか…。

もちろん、吉彦だけではありません。宮(皇太子)をめぐって、大半のクラスメイトが、否応なしに何らかの反応を迫られる。積極的に行動する者、全く無視する者、アンビバレントな心理に苦しむ者、等々…。


と、このようにギリギリと歯噛みする生徒たちの真ん中で、この宮という若者は、一体何を考えているのか? 彼の行動は? 彼の考えは? 彼の願望は? 彼の意志は? まるで台風の目の中心のように静かで孤独で、そこには「無」しかないようにも見える…。

貴様は、やはりあのひとの孤独の恐怖を甘く見ているんだ。諦めることによって救われる程度のものだと思っているんだ。
俺達は殿下をいまの状態なりに人間性の開放に持って行くようにするんだ。


戦前のように「神」ではなく、自分たちと同じ一人の「人間」として、宮(皇太子)を愛しはじめた「戦後の若者」である生徒たちは、その宮のおかれた場所の静けさに恐怖し、同情し、苦しみ、そして(教師や侍従や太夫の意向に抗って)なんとか宮を救えないものか、とさえ考え始めるのです。



銀ブラ事件と、民衆の熱狂と、青春の挫折


ところで、先日、NHK「アナザーストーリーズ」の明仁天皇特集を見ていたら、明仁皇太子の高校時代に「銀ブラ事件」なるものがあった、ということが放送されていました。

明仁皇太子がご学友2人と、こっそり夜の銀座に出かけるという「大冒険」を決行、宮内庁職員が慌てたという「銀ブラ事件」です。

アナザーストーリーズ アナザーストーリーズ
この銀ブラ事件は、小説『孤獨の人』にも重要なエピソードとして登場します。もちろん、あくまでも小説なので、事実とは異なる部分もあるとは思いますが。(詳細は上皇明仁wikiにも掲載されています→コチラ

だけど、一度だけでいいから誰にも干渉されず自分の意志で行動してみたいという宮(皇太子)の強い願望があったこと、そして、後で職員から叱責されるのを承知で、宮の願望を叶えるために尽力してあげたいと考えたご学友がいたこと、はまぎれもない真実でしょう。

そして、山手線に乗っても乗客に気づかれていないとわかり、宮が楽しそうに微笑んだこと。また、帰宅後、協力したご学友が、ほかのクラスメイトから僻むような言葉を受けたこと。職員からこっぴどく叱責されて、こらえきれずに号泣したこと。そうしたエピソードにおける若者たち一人一人の心の微妙な揺れが伝わってきて、昭和20年代の学習院の男子生徒たちとは何の関係もない、令和元年に生きる単なる庶民(私)の心を震わせるのです。


さらに、この小説の白眉は、第5章。

修学旅行で仙台を訪れた宮や吉彦たち、学習院生徒一行は、その地で「皇太子殿下! 万歳! 万歳! 万歳!」という民衆の大群とその熱狂に、モミクチャにされます。さらに吉彦は、純粋そうなあどけない海軍の乗組員青年から、なんの悪意もなくこのような羨望の言葉をかけられるのです。

ーー幸福ですね。貴方がたは。選ばれた、何人かの、日本の中での、幸運児ですね。

ーーぼくは昔から、ああいう地位の方に憧れを持っていたんです。新聞やなんかで写真を拝見する時、よく考えたものですよ。一度、一日でいいからああいう地位になってみたいってね。


戦争が終わり、天皇が神から人間になり、民主主義になってまだ数年なのに(この小説が描かれているのは1951年あたり)、やはり、皇族を神格化して熱狂せずにはおれない日本の現実

そのことにより、否が応でも孤独の世界に閉じ込められてしまう宮と、宮の心に触れることができず寂しく孤立する生徒たち

それぞれの若者たちの、切ない青春の挫折を描いた小説が、『孤獨の人』なのです。



令和だからこそ、「昭和20年代の学習院生徒たちの青春」をしみじみ味わえる


ちなみにですが、一説では、ある意味で非人間的な監禁生活を余儀なくされ、陰々滅々としていた明仁皇太子を救ったのは美智子様だと言われています。1957年に出会い、1959年にご結婚されました。

それが真実だとしたら、「孤獨の人」は、ついに孤獨ではなくなった、のかも…しれません。


退位礼正殿の儀の天皇陛下のお言葉
平成31年4月30日

今日(こんにち)をもち、天皇としての務めを終えることになりました。

ただ今、国民を代表して、安倍内閣総理大臣の述べられた言葉に、深く謝意を表します。

即位から30年、これまでの天皇としての務めを、国民への深い信頼と敬愛をもって行い得たことは、幸せなことでした。象徴としての私を受け入れ、支えてくれた国民に、心から感謝します。明日から始まる新しい令和の時代が、平和で実り多くあることを、皇后と共に心から願い、ここに我が国と世界の人々の安寧と幸せを祈ります。



昨日、このお言葉を述べる明仁天皇をテレビで拝見し、令和になった今こそ、この『孤獨の人』が読まれるべきなのでは、と思いました。

なぜなら、この小説は、60年前に「将来の天皇」という重い荷を背負わされたゆえに孤独を味わわねばならなかった若者と、その周囲の若者たちの、青春の物語だから。そしてその人は、やっと、その重い荷をおろされたのですから。

もちろん、孤独というものは人間である以上、生涯ついてまわるものでしょう。皇族であれ、庶民であれ、孤独から完全に開放される、ということは永遠にない。ということは一言つけ加えておきたいと思いますが、それはまた、別のお話。






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