井嶋ナギの日本文化ノート

「牡丹+毛=獅子」の謎、もしくは『石橋』について。

桜が満開ですね! …という桜とは全く関係なく、前回の記事で時間がなくなってしまったので次回、と書いた『「牡丹の花」+「少しの毛」=「これは獅子です」』の公式について。



前回の記事にも書きましたが、先日のLOTUSイベント@増上寺で、常磐津舞踊『東都獅子』(一部)を踊ったのですが、その際に「扇獅子(おうぎじし)」という小道具を使用しました。この小道具、実は、「獅子」なんです!

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…え、どこが? ですよね(笑)。扇を二枚重ねたものの上に、造り物の「牡丹の花」と「少しの毛」があしらわれているのですが、この「牡丹の花」+「少しの毛」=「これは獅子です」という公式がありまして…。(小道具は私のものではなく、花柳美嘉千代先生の私物です)



歌舞伎が好きな方にとっては常識ですが、歌舞伎舞踊(日本舞踊)には「獅子もの」という一大ジャンルがあります。その中でも、『連獅子』や『鏡獅子』なんかは非常に有名で、まるで歌舞伎の代名詞のようになっていますよね。歌舞伎のことなど全く知らなかった子供の頃、祖母の家に、隈取りした顔に白い毛の頭の『鏡獅子』の人形があって、「何だこれ…コワイしダサイ」と思ってましたが(笑)。

そんな『連獅子』『鏡獅子』のような超有名演目でも、成立は実はそれほど古くはなく、幕末・明治時代以降。近代化する日本において生き残るため、歌舞伎が「高尚化」していかざるを得なくなり能・狂言から題材を得た「高尚で典雅なフンイキの演目」が次々と作られるようになった中で、生まれたものでした。そうした「獅子」が登場する「獅子もの」の原作となったのが、能の『石橋』です。(いしばし、ではありません。しゃっきょう、です)



そんなわけで、「獅子もの(石橋もの)」のオリジナルである、能『石橋』のストーリーを、カンタンに解説しますと。




主人公は、とある修行僧。場所は、目もくらむような断崖絶壁の前。この断崖絶壁には、幅30cmくらいしかない細〜い石橋がかかっており、この石橋を渡った先のエリアは、なんと、文殊菩薩がお住まいになっている「浄土」! 

文殊菩薩がお住まいになる「浄土」を目前にした修行僧、当然、「こ、この石橋、わ、渡らばや!」(ばや=〜したい)とワナワナしていると、ある少年が現われてこう言い放ちます。「この石橋は、並大抵の人間が渡れるような橋ではありません。無理です」。が、続けて、「でもこの石橋の前にいれば、イイことあるかもよ?」と言い残して去りました。

かくして、石橋の前で待機していると… キター!! 文殊菩薩の使者である「獅子」、降臨!!!! 「獅子」は、目の前に現われたかと思うと、勇壮な獅子の舞を披露し、しばし「浄土」のありさまを見せてくれたのでした…(嗚呼、ありがたやありがたや)。




というのが、能『石橋』のお話です。若干、補足します。

補足1。「文殊菩薩」とは、知恵をつかさどる菩薩。釈迦(=ブッタ)を真ん中にして獅子に乗った文殊菩薩 & 白象に乗った普賢菩薩が脇をかためる仏像設置形式「釈迦三尊像」が有名なので、その一人である文殊菩薩も人々に信仰されていました。前述のとおり、文殊菩薩はたいてい「獅子」の上に座っており、「獅子」は文殊菩薩の使者とされていたのです。

補足2。「獅子」は、実はライオンでありません、架空の生き物である「霊獣」です(⇒こんな感じ))、長い毛がフサフサしているのが特徴で、能『石橋』でも、獅子は長い毛を頭につけています。それをマネた歌舞伎舞踊でも、もちろん長い毛をつけている…というかむしろ毛が超ロング化して、しかもその毛をブンブン振り回すのです…(能では毛は振り回しません)。

補足3。この、文殊菩薩がお住まいになるという「浄土」ですが、ここには百獣の王である「獅子」がいて、百花の王である「牡丹の花」が咲き乱れ、「牡丹の花と獅子が遊びたわむれている」という、夢のような浄土イメージがありました。能『石橋』でも、紅白の牡丹の木が登場します(⇒こんな感じ)。それをマネっこした歌舞伎舞踊でも、同様です(⇒こんな感じ)。



というわけで、獣の毛があって、牡丹の花があれば、「ああ、『石橋』の世界ね。獅子ね。了解!」というお約束ができた、というわけなのですね。

でも、『連獅子』などの歌舞伎舞踊が作られる以前の、江戸時代のころから、キモノの柄だとか調度品だとか、そういったものに「牡丹」と「毛」のモチーフを配して「はい、『石橋』の世界ですよー」っていう文化的な遊びが行われていただろうとは思います。どこで見たのか忘れてしまいましたが、武士階級の女性の打ち掛けに、そういうモチーフがあったのを見たことがあります。能は武家階級にとって大切な教養でしたから、牡丹と毛=『石橋』の獅子、っていうのは常識だったでしょうね。

ちなみに、この渦巻きのような模様も、獅子の「毛」、です!

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ちなみに言えば、江戸時代、庶民が能を見る機会というのは、普通はほとんど無かったようです。とはいえ、全く無かったわけではなく、例えば、江戸城でのお祝いごと(将軍の代替わりの時や、将軍家にお子様が誕生した時など)の際には、上級町人(町名主など)が江戸城に招かれ、「御能拝見」にあずかったとか(これを、町入能という)。

その時は無礼講とされていて、将軍が現れると「やぁ親玉!」「大将!」、老中が現れると「◯◯の守(かみ)しっかりしろ!」「ハゲ!」「白髪!」、町奉行には「馬鹿!」「マヌケ!」と、芝居小屋のような掛け声がかかったとか……いくら無礼講でも、将軍に「親玉」って(笑)。あとで「仕事人」にひっそりと殺されるんじゃ。えと、これは三田村鳶魚先生の本に書いてあったことですが、ホントなんですかね(笑)。



ま、そんなことはともかくとして。歌舞伎において、能から題材を得た演目というのは、もちろん「獅子もの」以外にもたくさんあります。「獅子もの」のほかに、「道成寺もの」(例『京鹿子娘道成寺』)、「松風もの」(例『汐汲(しおくみ)』)、「山姥(やまんば)もの」(例『山姥』)、「隅田川もの」(例『隅田川』)…と、舞踊にもお芝居にもたくさん。でも、それらは、題材は能からもらっているものの、演出や上演形式に能っぽさはなく、完全に歌舞伎化されています。

だけど、そんなかでも、『連獅子』『鏡獅子』は、ものすごくお能っぽい。衣裳(能では「装束(しょうぞく)」と言いますが)、大道具、舞台装置、動き、謡いやお囃子の感じなど、お能にそっくり! というか、「お能にそっくりにしようとしてます感」がヒシヒシと伝わってきます(笑)。こういうものを歌舞伎では「松羽目(まつばめ)もの」と呼んでいて、明治時代に入ってから次々と作られたとされていますが、これって、実際、正確にはいつからなんでしょうか? と、どんどん興味が広がって収集がつかないので、またのちほど…。




ちなみに、『東都獅子』は、明治も終わり頃の明治40年、新橋芸者によって踊られたのが初演とのこと。むかーし、花柳美嘉千代先生主催の「あやめ会」に出演した時に、衣裳をつけて『東都獅子』を踊りました。『東都獅子』の時の正式な衣裳・鬘は、こんな感じでした。(髪型は「吹輪」です!)

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