日本を知るための100冊シリーズ、第3回目で止まってしまっておりましたが、居ても立ってもいられないほど面白い本を読んだので、久しぶりに第4冊目ということで書きたいと思います。『ヒタメン 三島由紀夫が女に逢う時…』(岩下尚史/著 雄山閣)、昨年末に出たばかりの本です。
この本の著者・岩下尚史さんには、『芸者論』『名妓の資格』という花柳界に関する名著がありまして、私などはそれこそ線引きまくり&付箋貼りまくり、あげくに装丁が素敵なので保存用と書き込み用とW買いしたほど(笑)。なので、『芸者論』『名妓の資格』のほうが、日本を知る本としては適していると思われるかもしれません。
が、しかし、です。しかし、なんです! もしあなたがこの『ヒタメン』のページをめくれば、きっと今まで見たことも聞いたこともない、あるひとつの新鮮な、そして華麗な「日本」が、玉手箱から流れ出る煙のように立ち昇ってきて、たちまち虜にされてしまうことでしょう。こんな日本があったなんて。それが遥か大昔のことではなく、ちょっと手を伸ばせば届きそうに思えるような、ほんのちょっと前の過去に。三島由紀夫がまだ29歳だった、1954年(昭和29年)頃の。
三島由紀夫が、その美しい女性に出会ったのは1954年の7月、あの中村歌右衛門丈の歌舞伎座楽屋でした。そして次に偶然再会した時、三島は上衣から名刺を取り出し、万年筆で「四時半、帝國ホテル、グリルバー」と書きつけてその女性に渡したのだとか。そして三度目に会ったその帰りに、「午後五時、銀座ケテルス」と書いた名刺を手渡した――。以後、それが彼らの逢引きの習慣になっていきます。
「三度(みたび)お会いして、四度目の逢瀬は恋になります。死なねばなりません」…とは、映画『陽炎座』のセリフですが、それから3年の間、三島とその女性の逢瀬はほぼ毎日のように続いたのだそう。
「とにかく、「好きだ、全身全霊で君に惚れてるよ」なんてことばかり言うわけですよ(笑)、もう、わたくしのことを誉めて、崇めて、たいへんなの。また、口先ばかりでなく、心から優しいし、親切でしたからね。ほんとうに大切にして呉(くれ)ました。ですから、かれと逢っていても、不愉快なことは、三年のあいだ、たゞの一度もなかったんです」
三島由紀夫が3年間夢中になったこの女性は、赤坂の大きな料亭「若林」の娘、(旧姓)豊田貞子さん。猪瀬直樹氏の『ペルソナ 三島由紀夫伝』でも、「X嬢」として紹介されていますが、実は著者の岩下氏はこの貞子さんと20年も前からお知り合いで、『ペルソナ』も読んでいたにも関わらず、貞子さん=X嬢だと気づかないままずっとお付き合いされていたのだとか! 新橋演舞場に勤務していた著者の、中村歌右衛門丈の後援会をはじめとした劇界の方々との交流や、貞子さん=X嬢と気づきお話を伺うことになる経緯なども、まるで小説のようにドラマティックで面白いのです。
さらに素晴らしいのは、貞子さんが独特のエレガントな口調で語る、1950年代(昭和30年代)の華麗なる東京! 敗戦が1945年、それから10年近く経ったとは言え、大多数の日本人が貧しい生活を送っていた一方で、東京の上流階級や花柳界に生きる人々のなんと華やかなことよ!! 格差社会だのなんだのと騒がれている昨今ですが、そんなレベルではないですよ、ほんの50年ほど前の日本は。その華麗さ、絢爛さに、クラクラと眩暈がいたしました。
関西の名優・2代目實川延若の妻である、もと赤坂の名妓(年江姐さん)を伯母にもち、そのもと旦那は安田財閥の安田善三郎(その孫がオノヨーコ)、さらにその妹は中村時蔵の妻になり、その息子たちは映画スターの萬屋錦之介に中村嘉葎雄(『陽炎座』の玉脇!)。毎日のように銀座の美容院で髪を結い、毎日のように出入りの呉服屋にあつらえ着物の指示を出し、「伊勢半」に純金や白金をまいた訪問着をつくらせ、6世歌右衛門(「おにいさま」!)が描いたナデシコの花を夏帯に染めさせて、帯〆は「道明」か「久のや」、桑で作らせた「帯〆箪笥」や「襟箪笥」には「百筋は並べてい」たその様子、慶応女子高で教えていた池田彌三郎先生との交流、学生演劇では松竹衣装でおあつらえ、その打ち上げは池田先生のご実家「銀座天金」、爪紅(つまべに)はアメリカンファーマシィでしか買えなかった輸入もののレブロン――。
そんな煌びやかな環境を当然のごとくに育った貞子さんを、毎晩、洒落たレストランやナイトクラブや逢引場所(当時、落魄した華族のお屋敷が連れ込み宿として使われていた等、面白い!)へとエスコートしたり、プレゼントを贈ったりと、三島は経済的にかなり無理をしていたのだそう。
著者の岩下さんは、三島の終生変わらぬ親友だった湯浅あつ子さん(『鏡子の家』のモデルになった方!)にも話を聞いていて、前半で貞子さんから聞いた話を、あつ子さんの話で裏付けつつ強化してゆくという構成になっているのですが、このあつ子さんの話がまさに「歯に衣着せぬ」語り口で非常に面白いのです。たとえば、お金のこと。たとえば、女性関係のこと。たとえば、結婚のこと(貞子さんと別れた翌年の1958年、三島は杉山寧の娘・瑤子さんと結婚)。そして、自決の日のこと(1970年)。
「その三年間だけでなく、公ちゃんにとっての「おんな」と云うものは、“だこ”さんひとりだけでした」
(注:公ちゃん=三島のこと、だこさん=貞子さんのこと)
「“だこ”さんの前にも無いし、結婚後は瑤子ちゃん(注:三島の妻)で了(おわ)りです。このふたりのほか、三島由紀夫に女性との深い交渉はありませんでした。私ね、このことは、判を捺いてもよろしいわ。だいゝち、ほかに女でもあれば、“盾の会”なんて作りません」
三島由紀夫に関する本は、きちんとした評伝から下世話なゴシップまがいのものまで、それこそ山のようにあります。三島由紀夫の小説をとっても、純文学からB級三文小説まであり、はたまた現代演劇戯曲に歌舞伎狂言、さらに裸体を誇示するような写真集だとか、映画(『憂国』とか『からっ風野郎』とか『黒蜥蜴』とか)にも出演していたり。極めつけは、あの不可解な、“盾の会”での割腹自殺。
毀誉褒貶の激しい…というか、これほどまでに読解が難しい、一筋縄ではいかない「大きな作家」も日本では珍しいように思います。それだけに、死後40年経っても、三島由紀夫作品はいまだに書店の棚の一角をしっかりオレンジ色で染めて撤退する気配は微塵もないどころか、絶版になっていた文庫が復刊されたり、作品が映画化されたり。三島が師匠と崇めたノーベル賞作家・川端康成と比べても、俄然、三島由紀夫のほうに惹かれる人が今は多いのではないでしょうか。
私も折に触れて三島由紀夫作品を読んできましたが、1つ1つの作品は面白いんですけど、三島という大きな世界全体を眺めるとイマイチよくわからないなぁ、というかつかめないなぁ、と思っていました。たとえば、愛する泉鏡花や鶴屋南北のように、「この作家なればこそ!!」と思うような確固とした個性・世界がつかみにくいというか…。何を書いてももちろん上手いけど、何となくぎこちないというか、いつも小説世界より文章が頭ひとつ先走っているような感じというか…。
だけど、私は『春の雪』だけは本当に大好きでした。「絶対の不可能」に暗い喜びと危険な快楽を見出し、優雅の化身とも言える令嬢・聡子に惹かれる、勲功華族の御曹司・清顕。そんな清顕に翻弄されつつも最後は黙って清顕の前から姿を消す、公家の血を引く伯爵令嬢・聡子。この2人の「絶対の不可能」ゆえに燃える恋心と、いくどかの逢引き、そして始めから運命づけられていた別れ――。文庫にして467ページという長編ながらも、ただ、それだけの話。
素人が勝手な読みをするとは何事、と叱られるかもしれませんが、私はこの『ヒタメン』を読み終わった時、まっさきに『春の雪』を思い出したのです。夜のマクドナルドでぺージをめくり始めたのが運のつき、あまりの面白さに席を立つことができず、そのまま朝のしらじら明けの中、『ヒタメン』と『春の雪』がオーヴァーラップして、カラになったポテトフライの包装紙に思わず涙をこぼしました。もしかしたら、三島由紀夫の心に貞子さんとの出来事がずっと消えずに存在し(消えるわけないのではないでしょうか?)、直接とは言わないまでも、陰に陽に、この「「絶対の不可能」に挑戦する若い2人の物語」に影響していたのではないか? だとしたら、もちろん貞子さんが優雅の化身である聡子で、三島由紀夫は清顕であると同時に、清顕の“影”でもあるような親友・本多なのではないか? だからこそ、清顕が死んだ後も、本多は(豊饒の海シリーズで)生き続けなければならなかったのではないか? 貞子さんと別れても10数年生きていかなければならなかった、三島のように。
本書の後書きで、著者の岩下氏は以下のようなことを書いています。
「昭和四十五年十一月二十五日の切腹は、身辺の俗事に追い詰められての自殺などではなく、霊のよるべをつきとめて、ようやく国に対する諌死に立ち到ったと云うほかはない」
霊のよるべ! これはまさしく、『春の雪』で言及されている「何か決定的なもの」を、欲してやまない魂の行き着く先のこと、ではないでしょうか? 以下。
本多 「貴様はきっとひどく欲張りなんだ。欲張りは往々悲しげな様子をしているよ。貴様はこれ以上、何が欲しいんだい」
清顕 「何か決定的なもの。それが何だかはわからない」
(『春の雪』 新潮文庫 P24)
何か決定的なもの。三島由紀夫も、それさえ掴むことができれば、そこに突っ走ることさえできれば、それが“何”であっても構わなかったのではないか。本書に登場する2人の女性をはじめ、誰もが三島の自決事件について首をかしげるばかりだし、政治思想等の難しいことは私も全くわかりません。でもたぶん、あの三島の作品群の節操のなさ(悪い言い方をすれば…)を見ればわかるとおり、「これぞ!!というものを探して探して探しぬいた大変な一生」だったのではないか、と思うのです。その真面目さ、一生懸命さ、切実さ。それが時にはひどく滑稽な形(あのボディビルとか映画出演とか)で現れてしまうほどの。
…なんていうそんな『春の雪』に託した解釈は、もちろん、私の勝手な妄想です。ただ、今までどんな三島本を読んでもピンとこなかった私ですが、初めて、三島由紀夫が(私なりに)理解できた…と思わせてくれた本、それが『ヒタメン』でした。1950年代のきらびやかな東京風俗、世界に誇る日本の文豪“ MISHIMA ”の知られざる横顔。そして著者・岩下氏の華麗な語り口と見事な解釈。本当に貴重な、滅多にない素晴らしい内容でした。
最後に、『春の雪』でこの世から去る間際の、清顕の言葉を。
「今、夢を見ていた。又、会うぜ。きっと会う。滝の下で」
■『見出された恋 「金閣寺」への船出』(岩下尚史/著 雄山閣)
『ヒタメン』の著者・岩下尚史氏による、三島由紀夫と貞子さんの色事を小説にしたもの。実は、『ヒタメン』よりコチラが先に発売されていたのですが、あちこちから内容の真偽についての問い合わせがあったのに応えて、聞き書きバージョンとして『ヒタメン』を出版したのだそう。こちらは美しい言葉が散りばめられた、まるで泉鏡花の『春昼・春昼後刻』のような華麗な物語世界です…。
■「japaga web」
岩下尚史さんの著作のすべての装丁を手がけている、画家・デザイナー江津匡士(ごうづただし)さんのサイト。素晴らしい作品ばかり!
仲良しのイラストレーターコダカナナホさんとお知り合いで、去年のWAGUさんでのトークイベントにもいらしてくださいました。その時は、私が愛読していて、装丁が素敵すぎるあまりW購入までしていた『芸者論』『名妓の資格』の装丁をされているなんて、全く知らなかったので驚きました!
■「美女とキモノ。または、映画におけるキモノ美女の研究。」
vol.4 『春の雪』
着物ブランドWAGUさんのサイトで、イラストレーターのコダカナナホさんと一緒に連載していたコーナーで、映画版『春の雪』を取り上げました。