井嶋ナギの日本文化ノート

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「世界の不思議ちゃん」としての日本。もしくは、そこでより良く生きるための新たな視点について。

時事

先日、映像ディレクターであり現代アーティストでもある市村幸卯子さんとご飯を食べたのですが、海外生活の長い幸卯子さんがとても面白いことを言っていました。いわく、

「日本は以前から“世界の不思議ちゃん”で、それがカッコイイものとして憧れられてきたけど、今回の震災と原発事故後の日本人の対応で、さらにその“不思議ちゃん度”が上がったと思う。たとえば、ヤシマ作戦とか2ちゃんねるでの盛り上がり方とか、とんでもない危機の中にあってさえアニメやヴァーチャルなものとリアルが混在している状況って、欧米からしたら信じられないくらいcrazyなことなんだよね(笑)。やっぱり、合理的知的レベルの高さはやはり欧米にはかなわないものがあるから、日本は“世界の不思議ちゃん”としての道を全うするしかないな、と改めて思った」

とのこと。「世界の不思議ちゃん」としての日本。そうか、私って不思議ちゃんだったんだ! と改めて気づきました(笑)。私も、原発事故のヤバい現実を突きつけられるなか、2ちゃんねるとかニコ動とか見て大笑いして、なんとか重苦しい現実とのバランスを保っていましたが、そういうやり方じたいが日本人的だったとは…。たとえば、不謹慎すぎてあまり大っぴらに言いにくいのですが、、擬人化された1号機や2号機や余震やACなどが登場してスポ根的に語るスレとか見て爆笑してたけど、確かにセシウムとか降下する中の状況としてはcrazyかも…モンティパイソン的というか…。


いや、でも本当に、震災以後、「日本って何だ?」「日本人って何だ?」という、果てしない問いに取り憑かれておりますよ。って、別にオマエは以前からそんなことばっかり言ってるじゃん、という感じですけど、もっと正確に言えば、「どうして現在のような日本ができあがったのだろうか?」「どうして現在のような日本人ができあがったのだろうか?」という新たな問い。だって、あまりにも「えー!」「なんで?!」と思うことばかりなのに、それでもどうにもしようがない、という現状。そんな中にいれば「なぜ?」と思わないほうがおかしいですよね。

細かく取り上げればきりがないけれど、たとえば、なぜこんな地震が頻発する島の上に原子力発電所が54基もあるんだろう? とか、広島長崎で原子力に対する恐怖を植えつけられているにも関わらず、なぜ日本は世界第3位の原発大国なんだろう? とか、大企業にしろ政府にしろ、なぜ日本では強力なリーダーシップを発揮できる人間がトップになれないようになってるんだろう? とか、企業にしろ政府にしろ官僚にしろ、なぜ人前で堂々とわかりやすく論理的に話をすることができないんだろう? とか、マスコミ各社はそれぞれ違う見解があってもいいのに、なぜすべてが同じで横並びなんだろう? とか、放射線量が相当高くて危険だとわかってる場所なのに、なぜ子どもが生活し学校に行っても大丈夫ということになるんだろう? とか、原発事故でこれだけの被害や倒産が相次いでるのに、なぜ東電では賞与5割削減って賞与が出るんだろう? っていうか、賞与って何だっけ? とかとか。キリがないのでここらへんで止めますが。

これらの問いの答えって、ある程度までは答えられますよね。たとえば、「大企業にしろ政府にしろ、なぜ日本では強力なリーダーシップを発揮できる人間がトップになれないようになってるんだろう?」という問いに対しては、「日本の組織では、上の顔色を見てうまく立ち回れるような調整型の人間が出世しやすいんだよ。そもそも強力なリーダーシップがあるような人間は、上から嫌われて出世できないでしょ」ということくらい、誰でも答えられる。でも、更に、「じゃあ、日本の組織にそういう習慣があるのはナゼ? だってそれじゃあ組織がどんどん弱体化してしまうんじゃない? どうしてそれでうまくやっていけるの?」と問われたら、なんとも答えようがない。「えーと、日本は島国で…聖徳太子の時代から“和をもって貴しとなす”と言われたようにですねぇ…」と、要領を得ない答えになってしまって、「え、でも明治時代なんて、こんな小さな国が、あんな巨大な中国とロシアに戦争で勝ったんだよ? リーダーシップがなかったら無理じゃない? 真珠湾攻撃とかどうよ? それに戦国時代の織田信長はすごかったよ?」と言われてしまうと、「えーと、それは、人にもよりますし…ケース・バイ・ケースでして…」ということで終了(笑)。


というわけで、世界からのみならず、日本人の私でさえも「不思議ちゃん」と思わざるを得ない国、日本。ここ1ヶ月ほど、「どうして現在のような日本ができあがったのだろうか?」「どうして現在のような日本人ができあがったのだろうか?」という問いが、頭から離れません。

かと言って、別に日本だけがスペシャルだ! と言いたいわけではないのです。私は、以前から、「今では遠くなってしまった日本の文化をなるべくそのまま理解し、それをあがめ奉(たてまつ)るのではなく、それをさらに現代に生きる私たちの感覚で解釈しなおす」、ということが自分のライフワークだと思ってきました。

なぜそれが大事なのか? それは、現代の常識や考え方が唯一絶対だと思ってしまうと、現代という空間が行き止まりだらけの狭苦しいものに感じられ、日々が息苦しく単調なものになってしまいがちだからです。だけど、過去の日本を知り、それを現代に生きる自分の感覚で解釈しなおしてみると、現代という空間がグッと広がり、見晴らしのよい、多彩なものになるのを感じることができる。つまり、あくまでも目的は、日本で生まれて日本で育ち日本語で生活する日本人として、「現代をより良く生きる」ため。今をより良く生きるためのひとつの方法として有効だ、と考えているからです。

それと同じように、「どうして現在のような日本ができあがったのだろうか?」「どうして現在のような日本人ができあがったのだろうか?」という問いをもちつつ過去の日本を理解することは、不思議とも奇妙とも言える今の日本の現実を、なんとか「より良く生きる」ためのひとつの方法として有効なのではないか? と。

最近はそんなことを考えています。





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