井嶋ナギの日本文化ノート

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長野須坂「豪商の館・田中本家」に行ってきました! 〜婚礼衣裳としての打掛けについて。


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先日、長野に2泊3日の小旅行をしてきました。登山でもリンゴ狩りでもスキーでもありません。目的は、長年の憧れの場所、「田中本家」です!! 田中本家って何だ、と。普通はご存知ないかもしれません。が、古い着物や服飾史に興味を持っている方ならば、目にしたことがあるはず。そう、古い着物の図録やヴィジュアル本などで、江戸時代の素晴らしい婚礼衣装や留袖の写真の下に小さく、「田中本家博物館」のクレジットが入っているのを…!



というわけで、長野県須坂市へ。長野駅からさらに電車で約30分。須坂駅を降りると、何の変哲もない駅前ですが、あなどることなかれ。10分ほど歩くと、急に連続して現れる「蔵造り」の家々! 真っ白な壁に黒い瓦の、白×黒のストイックな町並みが美しく、それだけで「来て良かったー!」と思いました。

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そして、ついに! 現れたのが、「田中本家」!

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真っ白の壁がカッコイイ!!!

そしてこれが、正面だけじゃなくて、


右も続きます。

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左もえんえんと続きます。

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邸内の、お屋敷や植木もスゴイです。

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庭がスゴ過ぎて、お屋敷が遠い…。

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なんと、これも邸内です。

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↑こんなふうに、屋敷のまわりを、20近くもある土蔵が(廓のように)グルリと取り囲んでいます(何度も書きますが、邸内です!)。



そして、収蔵品がスゴイのです。
婚礼衣装のほか、振袖に留袖、子どもの着物、帯や櫛簪、そのほか漆器や磁器などの食器類、美術品、貴重なおもちゃ、雛人形、羽子板などなど、おびただしい数の、さまざまな生活用品が所蔵されているのだとか(ほんの一部しか展示されていませんが)。



田中本家」の所蔵品のなかでも特に有名なのが、古くは江戸時代後期、新しいものでは昭和24年頃の、婚礼用衣装! 光や空気に当てるだけで古い生地が傷むので、特別な時期しか展示していませんが、図録でじっくり研究。


左から、大正時代の緋緞子の打ち掛け、江戸時代後期の白紋綸子の打ち掛け、江戸時代後期の黒緞子の打ち掛け。もちろん、総刺繍です!

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大正時代の青緞子の打ち掛け!

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資料によると、田中本家での婚礼は、ふつう1ヶ月ほどかけて行われたのだとか…! まずは、仲人と近親者だけの列席で新郎新婦が三三九度の杯をかわす「夫婦杯」、この時は白い衣装。続いて、花嫁が新郎の親と兄弟と杯をかわす「親子杯」「兄弟杯」では、緋色の衣装。さらにお客様との宴では、黒の衣装。といった順で、次々とお色直しをしたようで。スゴイ…。


これを見てすぐ思ったのが、「いくら財力がスゴかったとはいえ、代々、武士階級の家柄、というわけでもないのに、打ち掛けを着るんだ〜!」ということでした。今では「婚礼衣装=打ち掛け」というほど、誰もが当たり前のように着る「打ち掛け」ですが、実は、江戸時代では上層武士階級の女性のファッションだったのです。そう、ドラマや映画の『大奥』なんかで、御殿女中がズラーっと並んでササーっと歩きながら、ガウンのように羽織ったキモノをたなびかせていますよね? あれが、打ち掛けです。

一番上の、着物&帯の上から羽織っているのが「打掛け」↓(去年の妹の挙式時の画像)

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打掛け…と言われて、いつも私がかなり強烈に思い出すのが、幸田文の『きもの』。これは、明治後期〜大正時代あたりを舞台にした小説ですが、明治大正期になっても、たとえ婚礼衣裳とはいえ、一般の人が「打掛け」を着るなんてとんでもないことだった、ということがよーくわかるのですよー。

『きもの』の主人公るつ子の姉は、評判の美人で、見栄っ張りの上流志向。病院院長の家に嫁ぐことになり、婚礼衣装は「おかいどりが着たい」と駄々をこねます(おかいどり=打掛けのこと)。家族中が仰天するなか、父に「みえを張るつもりなら馬鹿らしい!」とピシャッと言われ、結局、黒の振袖&お色直しは藤色の振袖に落ち着く、という私の大好きな(笑)エピソードです。

 式にはおかいどりが着たい、というのが姉の希望だった。そんなものは普通のうちでは着ない。身分のいい人とか、よほどお金持とかは着るが、なみの家では着ようという気さえおきない、特別かけはなれた衣裳である。もし姉がそれを着たとすれば、親類はじめ誰もがびっくりするだろうし、驚いたあとは悪口をいわれるにきまっている。身のほど知らずの跳ね上りもの、と。るつ子も中の姉も、最初にそうきいたときには、びっくりした。中の姉などはひええと目をみはって、あとげらげら笑いだした。

幸田文『きもの』より




このような何枚ものゴージャスな打掛けや、ものスゴイお屋敷を所有していた「田中本家」って、一体何? やっぱり武家屋敷? いいえ、違うのです。「田中本家」は、江戸時代中期に信州・須坂で創業した豪商。今で言う、総合商社のようなものだったそう。ということは、大商人なわけですよね? だけど、実は「田中本家」は、確かに「大商人」でありつつも、「士分」(=旗本・御家人に相当)としての格を須坂藩から与えられていたそうなんです! ああ、それで、婚礼衣裳も「打掛け」で……と、改めて納得。




そんなわけで、見どころがたくさんありすぎる「田中本家」。この家がスゴイのは、古いお屋敷がそのまま残っていたことだけじゃないのです。なにがスゴイって、「屋敷を囲む20ほどもある土蔵に、江戸時代〜昭和初期までのさまざまな生活用品が、そのままそっくり素晴らしい状態で保存されていたこと」と、「それらのすべてに記録がつけられ、購入した日や店がわかったり、包装紙や箱がそのまま保存されていたりすること」だとか! スゴイですよね…。そんな例は日本全国でもほとんど無いそうで、「近世における正倉院」と言われているのだそうです。

その一例として、「諸客賄方控帳」という文書が残されており、いつ、誰が来て、どんな献立を出して、どのお皿で出したか、みたいなことが細か〜〜く記録されているそうで。なんと、「田中本家」では、その古文書から再現した江戸時代の料理を食べることができるんですよ! 

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上の画像が、江戸時代の料理を再現した「橘弁当」(要予約)。三段重ねの重箱は、「田中本家」所蔵の「蒔絵桃樹文重箱」を復刻したもの。このお重のなかに、いろいろなものが少しずつ、上品に盛りつけられていて、目にも楽しく美味しかったです〜〜(お弁当の中身を見たい方は、コチラ)。「田中本家」の女紋(=女性が使用した紋のこと)を染めた手ぬぐいを使いながら、私も豪商の家の「御新造さん(奥様のこと)」にでもなったような気分を、ちょっぴり味わったのでした…。。





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■「江戸時代の身分の流動性について。 〜「豪商の館・田中本家」を訪れて思ったこと。
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