私は物心がつく頃から本を読むが大好きで、学校でも「国語」は最も得意な科目でした。だけど、「国語」の教科書って、今思い出しても面白くなかったなぁ…と思うのです。だいたい、ある有名作品の数ページだけを抜粋して教科書に載せたところで、その前後をきちんと読まなければ面白さも半減どころか9割減ですし。だったら授業時間を作品を読むための読書タイムにしてくれ、といつも思ってました(というか、教科書で隠しつつ、自主的読書タイムにしてましたが)。
そんなノリだったので、「国語」の教科書の内容については、ほとんど記憶にありません。が、なぜか「面白くない」と感じてしまったことを、変にハッキリと覚えている文章があるのです。それが、『幻の錦』という文章でした(中学時代)。
『幻の錦』は、ある織物研究家が、法隆寺夢殿にねむっていた古代の織物と、シルクロードの遺跡で発見されたミイラを覆っていた織物にある共通点を見いだし、その織物を復元してゆく…というような内容。って、歴史好きな私としては、普通に「おお、面白そう!」って感じです。それなのに、なぜ当時の私は、それを面白いと思えなかったのでしょう。
「面白くない」という感情は、「よくわからない」というところから発生することが多々あります。特に、知識も経験もない若者の場合に、よく見られる現象です。わかんない=面白くない、っていうアレです。でも、単につまんないと思っただけなら、サッサと忘却の彼方に消えてしまうと思うのですよね。私があの文章を「面白くない」と感じたのを今でもハッキリ覚えてるということは、そこに何かそれ以上のことがあったのだと思うのです。つまり、「理解できない」「よくわからない」ということへの憤り、のようなものが。
では、中学生だった頃の私は、何を理解できなかったのか? ハッキリ言ってしまえば、その問題となっている「古い織物」の写真(教科書のカラーページに掲載)、それを見ても、その美しさやその良さが、その価値が、ちっとも理解できなかった、のでした…(泣)。
「このボロっちい赤茶けた布に、なぜみんなが寄ってたかってスゴイ!スゴイ!って興奮しているのか?」という、身もフタもない(笑)、子どもらしい素朴すぎる疑問…。それに対する答えは、先生も教えてくれないし、文章のどこを読んでも書いてない。文章はちゃんと読めるし理解できるのに、そこで取り上げられているモノの「価値」が理解できないなんて!!!
そんなわけで、その古い織物の模様と、その織物の名称「獅子狩文錦(ししかりもんきん)」の響きは、モヤモヤした気分とともに脳に刻み込まれてしまったのでした。が! その後、大人になってから再び「獅子狩文錦(ししかりもんきん)」の名を目にすることになるとは…。どこで目にしたのかって? それはなんと、着物のhowto本で、だったのです!
着物というのは身分社会の産物なので、帯や着物のすべてに「格」と呼ばれるランク付けがされています。たとえば、帯の模様にも「格」があり、着物を着る際には「この模様は格が高いから、改まった席に」とか「この模様はあまり格が高くないから、普段着でいいかな」とかいうような、「格」の感覚が必要になってきます。なので、たいていの着物howto本では、「格」の説明にかなりのページを費やしていますが、厄介なことに、「読めばわかる」「見ればわかる」ってものでもないところがありまして…。たとえば、「正倉院文様」という、格が最も高いとされる模様カテゴリーがあるんですが、この「正倉院文様」のなかにもさらにまたいろいろな模様がたくさんあって、まぁ、わかりにくいのです…。私も初めて着物howto本を開いたときは、「よくわかんない! つーか、なんでここでイキナリ、正倉院?! その説明はないのかいー」とイライラしっぱなしでした(笑)。
が、その、格が高いとされる「正倉院文様」という模様カテゴリーのページをじーっと眺めていると、「獅子狩文錦(ししかりもんきん)」という模様があるではないですか…! あれ? どこかで聞いたような…。あーっ、昔、教科書に載ってたあのボロッちい織物! えーっ、これが格の高い帯の! 模様に! へぇ! そうなの! ……でも、なんで?
中学時代から大人になってまでを横断する、この素朴すぎる疑問を一気に解決してくれたのが、宮尾登美子氏の小説『錦(にしき)』(中公文庫)でした。
宮尾登美子氏による小説『錦(にしき)』は、明治・大正・昭和にかけて活躍した、龍村平蔵という織物美術家の一代記。あ、ちなみに、龍村は「りゅうむら」ではなく「たつむら」です。って、そんなことは、着物好きには当然すぎるほど当然ですが。「龍村(たつむら)」は、着物好きの憧れであり、名品であり、高級であり、高価であり…というような、特別な位置にある帯のブランド。洋服で言えば、エルメスみたいな感じかも?
私が『錦(にしき)』を読んで最も面白いと思ったのは、龍村平蔵の生涯をたどることで、近代(明治〜昭和)における帯の変化発展までもがわかる、ということ。たとえば、「龍村平蔵・以前」に、「正倉院文様」の帯なんてなかったんですよね〜。現代の着物howto本では「昔からずっとそうだったのでございますわよ」的なノリで書いてある、格の高い帯の代表「正倉院文様」の帯、これは「龍村平蔵・以後(大正末期〜昭和初期)」の産物なのです。
だって、法隆寺や東大寺正倉院にねむっていた古い織物を研究し、シルクロードの遺跡で発見された織物との共通点を見い出し、その復元に心血を注いだ人こそが、龍村平蔵だったのですから。そう、私が教科書で読んだ『幻の錦』の主人公である織物研究家とは、龍村平蔵だったのです…!
現在、「正倉院文様」と一般に総称される模様とは、飛鳥〜奈良時代(7〜8c)に大陸から伝わり、その後1000年以上も法隆寺や正倉院で保管されてきた織物に特有の柄(オリエンタルな柄)のこと。それまで正倉院などは非公開だったのですが、明治期になって初めて調査が入り、その流れで、龍村平蔵も法隆寺や正倉院にねむっていた織物の研究を許可されたのですね。
とにかく、当時の正倉院の宝物の持つ威光と言ったら凄まじく、人々は「正倉院文様」に、物凄いレベルの有難さ、貴重さ、神聖さを感じていたのだそう。本書『錦(にしき)』でも、初めて正倉院に入るに当たって、平蔵ほか全員が背広を新調したというくだりがあります。何しろ今まで、誰ひとり見ることはできなかった秘宝ですから! 正倉院文様というだけで、模様デザイン云々ではなく、問答無用に憧れと崇拝の対象だったことでしょう。そして「正倉院文様」の帯が織られ、格の高い帯として人気を博し、やがて和装業界に定着し、「なんで正倉院なの?」と問う者さえいないほどに「当然のこと」となり、今に至るのではないでしょうか(この件、私の想像ですが)。
(↑これ、すごく面白そう!『華麗なる織の美 龍村平蔵の世界』。朝日新聞社主催「龍村平藏の世界展」(1989年10月名古屋)の図録。「龍村美術織物」のサイトでしか販売していないようす。→コチラ)
初代・龍村平蔵が、いかにして京都西陣で織物会社を立ち上げ、いかにして新しい織り方や新しい模様を開発・発表し、いかにして織物を「美術品」の地位にまで高め、いかにして法隆寺や正倉院などに伝わる国宝級の古織物の復元をまかされ、いかにして「龍村」の名を輝かしいものにしていったのか。
『プロジェクトX』のようですが、そんなものではない凄まじさ。あくなき情熱、止むことのない挑戦、苦悩と執念の物語、それが『錦(にしき)』です。ちょいちょいと芸者との恋愛とか、イイ男ゆえ(7代目幸四郎に似ていたのだとか←今の海老蔵の曾祖父にあたる人)モテて困っちゃったりとか、家族のこととかも入ってきますけど、この平蔵って人、もう織物のことしか、ほとんど考えてません!!! ムツゴロウ畑正憲の「動物愛」ならぬ、初代・龍村平蔵の壮絶な「織物愛」…。それが『錦(にしき)』のテーマです。お上品でエレガントな和装世界ではないです、壮絶です(何度も言う)。
そんなわけで、「『龍村』の帯、持ってるわよ!」な方や「『龍村』の帯、あこがれる〜!」な方はもちろんのこと、昔の私のように、着物howto本を読んで「『正倉院文様』だとかって一体何よ?!」とイライラした経験のある方、学校教科書を読んで「『獅子狩文錦』とかいうこのボロ織物がどうした?!」と感じたことのある方、もしくは「『龍村』の帯がなんぼのもんよ?」な反骨精神に満ちた方にも(笑)、ぜひ読んでみてください。「よくわかんない…」が「なるほどそうか!」へ変わる楽しさを体験できること、請け合いです。少なくとも、龍村の帯は買えずとも、龍村スピリットは数百円で充分堪能できますよ(笑)!
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■「龍村美術織物」の公式サイト
■「龍村平蔵『時』を織る。」展、今年2013年に開催されていたのですね。
その図録も販売中→コチラ
■『錦とボロの話』2代目龍村平蔵(光翔)/著
父である初代平蔵とともに、古代錦の復原に生涯をかけた、2代目平蔵氏の著作(1967年発行本の復刊)。これ、かなり面白そうです!
…ちなみに、、「天下の法隆寺から発見された『龍村』ゆかりの、国宝『獅子狩文錦』を、「ボロ呼ばわり」(いくら中学時代の感想とは言え)するなんて、なんというバチ当たりの頓珍漢の門外漢め!」…と思われた方への言い訳ではありませんが、2代目龍村平蔵さんも自ら「ボロ」という言葉を使っている!! ということでちょっとホッとしました(笑)。