井嶋ナギの日本文化ノート

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【日本を知るための100冊】003:折口信夫『日本藝能史六講』 ~鎮魂と快楽の足拍子について。


歌舞伎とか日本舞踊とか能とか狂言とか、そういった日本伝統芸能に対して、「何百年も昔からある古いものだから価値があるのはわかるけど、でも今のワレワレが見てもあんまり面白くないよね?」という思い込み、ないでしょうか? 確かに、「あんまり面白くない」ものもあります(笑)。が、面白いものもあれば面白くないものもあるっていうのは、現代のものだって同じですよね。

たぶん、これは単に、「どう面白がればいいのか、よくわからない」ってことだと私は思うのです。確かに、室町時代に完成した能や、江戸時代に完成した歌舞伎舞踊には、その当時の常識や言語感覚などがつまっていますから、今の私たちにとってはどうにも「よくわからない」部分があるのは否めません。そういう部分は、少しずつ調べたりしながら、やっと「わかる」ようになっていくしかない。もちろん、その少しずつ「わかっていく」感じが本当はものすご~く面白いんですけども。

だけど。まったく何の前知識もない人でも、こうした日本伝統芸能を面白いと思える方法があります。それは、「リズムを体感すること」です!


私が初めて歌舞伎を見たのは、大学生の時でした。歌舞伎座の一幕見席から舞台を見下ろしながら、彼らが何を言ってるのか、彼らが何をやろうとしているのか、サッパリわからずただボケーッとしてました(笑)。だけど、彼らの踊りを見て、よくわからないけれど「気持ちいい・・・」と思ったのです。三味線、小鼓、大鼓、締太鼓、笛、唄、演者の掛け声、役者たちの足拍子、大向こうさんの掛け声。そうしたたくさんの「音」が、すばらしく絶妙な「リズム」でもってまとめられ、ひとつの空間がつくられていく、その気持ちのいい感じ!! 

そんな音とリズムのなかで、特に気持いい、と思ったのは、役者がところどころでトン! と舞台の上で足を踏み鳴らす「足拍子」、でした。

この「足拍子」、つまり、役者・演者が舞ったり踊ったりしながら、音楽にあわせて舞台の上でドン!と足踏みをし、大きな音を鳴り響かせる「足拍子」は、能でも、狂言でも、歌舞伎でも、日本舞踊でも、ごく当たり前のようにあちこちで多用されているのです。でも西洋の踊りではあまり見たことがないし。・・・一体これは何なんだろう? 日本伝統芸能における独特の技法なのか? と、とても不思議に思っておりました。(足拍子のない伝統芸能もあります。念のため)。

ところが、この足拍子について、あまりクローズアップされた本がなくてですね・・・。歌舞伎や舞踊のシロウト向けの解説本をひらいても、演目のあらすじとか、歴史的背景などは書いてあるけど、「足拍子」の面白さについて書かれていないなぁ・・・と。こんなに面白くて気持ちのいいものなのになぁ・・・と。ま、確かに足拍子の面白さなんて、体験する以外説明のしようがないんですけど(笑)。


そんな時ふと手に取ったのが、折口信夫の『日本藝能史六講』(講談社学術文庫)でした。1941年(昭和16年)、折口信夫が公開講座でおこなった、日本の芸能がどのように発生していったかについてのスリリングな講義録。

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先に結論を言ってしまうと、この足を踏み鳴らすという動作は、実は、「鎮魂」の意味があったのだそうです。引用は、以下。

(日本の芸能の)無意識の目的は大体考へることが出来る。つまり簡単に言へば、それは一種の鎮(しづ)め――鎮魂といふことに出発して来ているやうに思はれることであります。この鎮魂といふことは、外からよい魂を迎へて人間の身体中に鎮定させるといふのが最初の形だと思ひますが、同時に又魂が遊離すると、悪いものに触れるのでそこに病気などが起るといふことから、その悪いものを防がうとする形のものがあります。

日本の芸能でこの傾向を持ってをらないものはないといふほどの、共通の事項を取出してみるといふことならば、先(まず)、第一に挙げなければならぬのは鎮魂と まう一つ同じに考へられ易い反閇(へんばい)といふことであります。

この二つが一つになり二つになりして日本の芸能の凡(あら)ゆる部面に出てまいります。その中の一つ、或は二つが這入っておらぬ芸能は考へにくい位であります。


折口信夫によると、「鎮魂」には二つの形がある、と。一つは、「良いスピリットを呼んでこちらに定着させる」という形。もうひとつの鎮魂の形は、「悪いスピリットが出てこないように押さえつける」という形。

そこでググッとクローズアップされてくるのが、「大地を踏む」という動作なのです。

「良いスピリットを呼んでこちらに定着させる」という意味での「鎮魂=足踏み」は、『古事記』『日本書紀』の有名な「天岩戸伝説」がよい例として挙げられています。時は、神代の昔。弟・スサノオノミコトの乱暴なふるまいに、姉・アマテラスオオミカミは怒り心頭に発して、天岩戸(あまのいわと)のなかに閉じこもってしまいました。太陽神であるアマテラスが引きこもってしまったことで、世の中は真っ暗闇に。困った神々は、ある作戦を開始。踊りやものまね芸の上手なアメノウズメが、天岩戸のまわりで大地を突いたり踏み鳴らしたりしながら踊り、みなで大騒ぎをしたところ、アマテラスオオミカミが呼び覚まされて外に出ていらっしゃった、めでたしめでたし。・・・という話ですが、このアメノウズメがおこなった大地を踏み鳴らす動作が、鎮魂の動作。

その後、さらに混じってきたのが、中国大陸からやってきたと思われる「反閇(へんばい)」という歩行法。平安~鎌倉時代、呪術を行う陰陽師(おんみょうじ)が、呪文を唱えながら五方に向かって足踏みをし、悪い霊がやってこないよう足で踏み鎮めるということをやっていたそうで、これを「反閇(へんばい)」と言ったそうなのです。でも、本書によると、悪いものを踏み鎮めるという動作は日本にも古来からあったらしく、要するにいろいろなものが混じっていったそうなんですね。ここらへんはよくわかりません、と折口先生も正直に書いていました(笑)。


というわけで、神代の昔から、「鎮魂」としての意味をもっていた「足を踏み鳴らす」という動作。・・・いや、ほんと、今の歌舞伎や日本舞踊にまでこの「足拍子」の伝統がガッチリ残っていて、私も踊りのお稽古のたびに足拍子を踏んでますけど(日本舞踊のお稽古では「トン」と呼んでますが)、そんなに大昔から続いてきた動作だとは・・・正直言って、驚きました。折口信夫先生もこれにはビックリしています。以下。

吾々はむしろ近世の芸能の上にどうしてこんなに反閇が印象深く残っているかと驚くばかりです。譬へて申しますと、歌舞伎役者にしても、一番先に役者の役者らしさを鑑定するのは、舞台で両足の指を逸らして居るか否かといふことです。足の指先の踏む用意をしてをる、といふことなのでせう。


「鎮魂」という初期の意味が忘れられた後にも、なお「足を踏み鳴らす」という動作がえんえんと引き継がれてきて、今に至る。スゴイですよね。驚きです。が、しかし、私にはその理由がわかる気がするのです。

なんてエラソーに、その理由は何だって? それは、とにかく「リズムを体感すること」が気持ちよかったから、に決まっているでしょう! 能の囃子や謡にあわせても、歌舞伎舞踊の長唄や清元や常盤津にあわせても、何にあわせても気持ちがいい。はたで聞いても見ても気持ちいいし、自分で舞っても踊っても気持ちいい。それは、実際に生で舞台を見たり、自分で踊ったりしてみたら、誰でも絶対にわかります。「足を踏み鳴らす」という動作は、「鎮魂」である以前に、おそらく「快楽」だったのではないでしょうか


さらに言うならば、この「足拍子」、実は、楽器としても工夫されてきたのですよ! たとえば、能においては、音響効果を考えて舞台は総ヒノキで作られ、床下には通常7~10個ほどの甕を置いて、足拍子が美しく響くよう調節しています。また、歌舞伎舞踊や日本舞踊でも、実は、舞台の上にさらに「所作台(しょさだい)」というヒノキ製の置舞台を重ねて、足拍子がいい音で響くように工夫しているんですねー(普通の舞台の板で足を踏んでも、あんなにいい音は出ませんから)。

要するに、能でも歌舞伎でも日舞でも、その足拍子の音を聞く・感じるだけで、人間がとっても気持ちがよくなるよう、ちゃんと計算されているのですから、これには逆らえません。足拍子は、鎮魂の動作としての聖なる意味をもつだけでなく、いい音を鳴らす楽器としても、リズムを刻む楽器としても、開発されてきた、というわけで。足踏みひとつで、なんと奥の深いことよ・・・。


・・・と、ここまで書いてきて、これらのことって、今のダンスミュージック好きな人々にはくどくど説明するまでもなく「わかってるよ」なことなんじゃないか、とふと思いました。「リズムを体感すること」の快楽なんて、今さら言うまでもないですよね? というわけで、「足拍子」に注目すれば、ダンスミュージック好きな現代の人々こそ、能・狂言・歌舞伎・日本舞踊などなどのプリミティヴな快楽を、知識ヌキで理解できるはず! と思うんですけど、どうでしょう? 折口信夫先生が現代にいらっしゃったら、「さうでせうね」と眼鏡の奥からフフッと笑ってくださるような、そんな気がいたしました。


(追記:本書に同時収録された『翁(おきな)の発生』も、必読です!)

 

 

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■ 『死者の書・口ぶえ』 折口信夫 (岩波文庫)
折口信夫の必読文学作品。『口ぶえ』は、少年同士の愛を描いた美しい作品。

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■ 『釋迢空ノート』 富岡多恵子 (岩波現代文庫)
折口信夫の歌人としての名が、釋迢空(しゃくちょうくう)。折口信夫の生い立ちや人間関係を、富岡多恵子が史料を駆使して描いた評伝。毎日出版文化賞受賞。同性愛を隠さなかった折口と、その恋人・春洋との関係は涙無しでは読めませんでした…。

■ 『古代から来た未来人 折口信夫』 中沢新一 (ちくまプリマー新書)
折口信夫を何十年と読んできた、中沢新一氏による折口信夫入門書。とても読みやすくてわかりやすいので、初めて折口信夫を知る人にオススメ。

■ 『死者の書』 折口信夫 (お風呂で読む文庫 47)
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