井嶋ナギの日本文化ノート

飛田新地「鯛よし百番」にて、大正期の遊廓建築を見る。その3 もしくは、江戸〜戦後にかけての大坂の遊郭の歴史。


その1その2で、飛田新地の遊廓建築「鯛よし百番」について書きました。今回の目的は、大正期の遊廓建築を見ることだったので、飛田についてあまり書きませんでしたが、最後に、飛田新地の歴史についても書いておきたいと思います。


新世界と通天閣
(上画像は、「通天閣」のある「新世界」界わいの風景。)




飛田新地に行った記


「鯛よし百番」に行くには、普通は、直接タクシーで乗り付けるのが一番安心です。が、私は、「通天閣」のある「新世界」から、徒歩で向かうことにしました。「飛田新地」の最寄り駅である「動物園前」駅あたりまで歩くと、まだ17時台だったのもあって、通勤・通学の人でいっぱい。この「動物園前」駅前から、「鯛よし百番」のある「飛田新地」まで、アーケード商店街(動物園前一番街→動物園前二番街(飛田本通商店街))がえんえんと続いています。徒歩にして10分くらいか。

で、今回私が一番驚いてしまったのが、このアーケード街。凄かった…! 何がって、「昭和時代にタイムスリップしたか?!」と錯覚しそうな風景が展開していくのが! 何の前知識もなかったのでビックリしてしまい、時空を超えてしまったかと思って、ちょっと怖かった(笑)。いや、ほんと、昭和30年代くらいで時が止まってしまったような、まるでポンペイな場所。昼の明るい時間帯にまた行ってみたいと思いましたが、夜は女性だけで行かないほうがいいかも? 別に危ないことがあったわけではないですが、奥に行けば行くほど、シャッター街になっていったり、(西成のドヤ街が近いため)見るからに薄汚れた感じの人が多くなったりするので、少々緊張します。が、昭和レトロな町並みが残る貴重な場所として知る人ぞ知る場所のようで、コチラコチラなどネットにも写真があがっていました。


で、この昭和レトロなアーケード街を抜けると、そこが飛田新地。昔は遊廓街のまわりに、コンクリートの高壁がグルリとめぐらされていたそう(江戸時代の吉原や島原と同じですね)。現在はそんな壁はありませんが、昔は「大門」(おおもん。これも、江戸時代の吉原や島原と同じですね)と呼ばれる出入り口があったそうで、その門柱だけが今も残っています。その大門を抜けると、広い大通りがずっと通っていて、その大通りに沿って、ビルやマンションがあったり、(17時台だったので)営業を始めたのであろう店鋪のピンクの灯りがぼーっと幻想的についていました。「鯛よし百番」は、この大通りの突き当りにあるため、大通りをテクテク歩いていくことに。

ちなみに、この飛田新地は「撮影禁止」です。とは言え、ネットでちょっと検索すれば、多くの写真や動画がアップされているので、私も行く前から「ああ、こんなふうに営業してるのか」ということが分かってました。だけど、ピンクの灯りがぼーっとついたお店の前に、「おばちゃん」と呼ばれる中年女性(江戸時代で言えば「遣り手婆」に当たる)が座っていて、その奥の上がり框のところに、若い女の子が水着のような格好にテンガロンハットで、明るいライトに照らされながらニコニコして外を向いて座っているのを見ると、何とも言えない気持ちに…。男の人ならともかく、女がジロジロ見るのはよろしくないと思うので、遠くからチラッと見えただけですが。

何が一番、ガツンと来たかというと、特に「別世界!」という感じではなく、普通に当然な感じでそこにある、ということ。当然と言えば当然ですが、そこは普通に、淡々とした場所でした(赤線時代までは大繁華街で、人でごった返していたそうですが)。前もって、『さいごの色街 飛田』(井上理津子 新潮文庫)と、『飛田で生きる 遊郭経営10年、現在、スカウトマンの告白』(杉坂圭介 徳間文庫)を読んでいたので、ここで働く人々の背景や事情、さらには、むしろここで働ける子は(最近では)風俗業界ではエリート層、という現実もあるということも知っていたので、一言で「かわいそう」とか「ひどい」とか、そんな簡単な感想ではまとめられず。だけど、「すごいもの見た」とか「女の子かわいかった」とか言うのも違うと思うし。男性はどう思うかは分かりませんが、私は女なので、何と言ってよいのか(どう判断してよいのか)、正直言ってわかりませんでした。


飛田新地01





江戸時代における、遊廓について


ところで、時代は遡って。江戸文化について語るとき、決して避けることができないのが、遊郭文化・遊女文化、です。私も、トークイベントや講座で「吉原とは〜」とか「吉原の花魁のファッションは〜」とか言ってますけど、喜々として言うようなことではないですよね。もちろん、自覚してます。

ただ、江戸時代は、現代とは全く違う価値観のもとに人々は生きていたわけで、そんななか、「遊廓」がひとつのテーマパークのような「特別な遊びの場所」として認められたがために、そこに多くの才能芸能美術文化が結集されることになりました。だから、江戸時代の文化について語るとき、どうしても「遊廓」にすべてが結びついてしまうのですよ…。決して、売春したっていいじゃん!とか、花魁遊女あこがれ〜!みたいに思ってるわけじゃありません(念のため)。

ちなみに、江戸時代、日本各地に、公許の(=幕府が公認した)遊廓がありました。江戸なら「吉原」が公許で、準公許としては「品川」「新宿」「板橋」「千住」の四宿。京都なら「島原」、大坂なら「新町」が、公許です。

一方で、公許以外の歓楽街は、すべて岡場所(違法)です。岡場所は、普段は黙認されてますが、政府の方針によってはイキナリ手入れが入って、お取り潰し、となっても文句が言えませんでした(実際、江戸時代後期に大人気だった「深川(辰巳)」も、天保の改革でイキナリ取り潰しになっています)。



大坂の遊廓の歴史、飛田新地の歴史


話を大坂に限定しますが、江戸時代の大坂では、「新町」が公許の遊廓でした。歌舞伎『廓文章』(通称・吉田屋)で有名な、夕霧太夫が所属していた置屋「扇屋」があったのも、新町です。ちなみに、幕末に、その「扇屋」の経営者の娘と、上方で人気だった歌舞伎役者・3中村翫雀のあいだにできた子が、明治〜昭和初期にかけての大スター役者だった初代・中村雁治郎。さらに、その息子が、大映映画に欠かせない名優!2代目・中村雁治郎。さらに、その子が、現在の坂田藤十郎中村玉緒。…というわけで、玉緒さんや藤十郎さんを見たら、ぜひ「夕霧太夫のいた『扇屋』の経営者の血ぃひいてはる」(あってるのかこの方言?)と思っていただけたらと思います!

こうした公許の「新町」のほかに、江戸時代における大坂の色街(岡場所)としては、「北新地」(『曽根崎心中』『心中天網島』で有名な曽根崎新地ふくむ)、「南地」(宗右衛門町、櫓町、阪町、九郎右衛門町、難波新地)、「堀江」などがありました。そこに、明治2年になってから、「松島新地」が加わります(大阪港開港の外国人対策だったとのこと『さいごの色街 飛田』より)。さらには、明治45年に南地のひとつ難波新地が大火事となったのを契機に、その代替地として、大正7年に「飛田新地」が新たな遊廓地として開発されたのでした(さすがに大正時代にもなると、遊廓建設反対運動が起きますが、強引に開発されたようです)。

遊郭をみる』(筑摩書房)によると、飛田新地の特徴は、まず遊廓地を開発して妓楼を建設し、それを経営者に貸す、「家賃制の妓楼」という新スタイルをとったこと。おそらく、それまでは、妓楼は妓楼主が建設し経営するものだったのでしょう。これ以後、遊廓づくりの一つのモデルになったのだそうです。そのほか、いち早くカフェーやダンスホールなどモダンな施設を併設したことも評判となり、関西いちの遊廓地にまで発展しました。

飛田新地が一番賑わったのは、戦前の昭和初期頃で、最盛期は娼妓3000人以上! 昭和2年には、あの阿部定も飛田新地の高級妓楼「御園楼」にいて、ナンバー1・2の人気娼妓だったとか(『さいごの色街 飛田』P148より)。そして戦中は、空襲からも奇跡的に焼け残り、戦後は(1945年〜)、いわゆる「赤線」になります。溝口健二監督の『赤線地帯』にも描かれている通り、「赤線」とは、「戦後にGHQが公娼制度を廃止したにも関わらず、特定の区域のみに限って警察が認めた売春地域」のこと。しかし、赤線時代もそう長くは続かず、戦後10年ほど経った1956年に「売春防止法」が公布され、1958年に「売春防止法」完全施行。

売春防止法の施行により、日本では管理売春は違法になります。これにより、日本各地の「赤線」は終了し、店鋪も閉店や業種替えを余儀なくされました。私が偏愛している映画『二匹の牝犬』(小川真由美・緑魔子主演)でも、売防法により売春宿が閉店し、風俗嬢たちが散り散り去っていくシーンから映画が始まりますが、おそらく当時は、各地でそんな光景が見られたのでしょう。

ところが。飛田新地は違ったのです。何とか今まで通り生き残るすべはないか、あれこれと模索するのです…! そのようすが、『さいごの色街 飛田』(井上理津子 新潮文庫)に詳しく描かれていて、とても面白かった。で、あれこれ試行錯誤した結果、「シロウトの女の子が『料亭』でアルバイトをして、客とお酒を飲んでるうちに、恋愛感情が生じて関係した」という自由恋愛システムを確立。というわけで、今でも飛田新地にあるお店はぜんぶ「料亭」、なのです。



飛田新地についての具体的なことは、『さいごの色街 飛田』(井上理津子 新潮文庫)によくまとまっていたので、ぜひコチラをお読みください。女性筆者が、2000〜2011年にかけて飛田新地を取材したルポ。とにかく、著者の体当たり取材がすごくて、読んでいてヒヤヒヤハラハラ。「料亭」の経営者にインタビューしたり、「料亭」でおばちゃん(遣り手)として働く人に話を聞いたりするだけでなく、「料亭」の面接に潜入してみたり(中年以降でも働ける店がある)、警察署に直接出向いて「なぜ飛田を取り締まらないんですか?」と聞いてみたり、はたまた、飛田との関係をさぐるべく指定暴力団の事務所(この界隈はヤクザ屋さんの事務所が多い)に突撃取材したり。

そう言えば、やくざやさんと言えば、先日見に行ってものすごく面白かったドキュメンタリー映画『ヤクザと憲法』でも、取材されていた清勇会(大阪の指定暴力団「東組」の二次団体)のイケメン組長が、「新世界」界隈を通り抜けて、女の子が居並ぶ飛田新地を歩く姿が、一瞬ですがカメラにおさめられていました。普通なら、とてもビデオカメラを持ったまま飛田は歩けないでしょうけど、そこらへんは組長の威光があったのかな、などと思ったりしたのでした。(ちなみにこの映画、DVD化は無理とのことなので、ご興味のある方はぜひ劇場へ!)






おまけ。

飛田新地を出てすぐの場所に、イキナリ現れた、派手すぎるイルミネーションの館…

玉出1


パチンコ屋か? と思ったら、なんと、ふつーに食料品を売るスーパーマーケット「スーパー玉出」。

玉出2


店内も「これでもか!」とばかりにイルミまくり。ここもある意味、(関東者にとっては)大坂の見るべき建築物だと思いました。

大坂、やっぱり、すごいなー。





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■ 飛田新地「鯛よし百番」にて、大正期の遊廓建築を見る。その1
■ 飛田新地「鯛よし百番」にて、大正期の遊廓建築を見る。その2
■ 飛田新地「鯛よし百番」にて、大正期の遊廓建築を見る。その3
  もしくは、江戸〜戦後にかけての大坂の遊郭の歴史。



■ 「大阪松竹座」「新歌舞伎座」の建築様式と、関西歌舞伎の栄枯盛衰について。




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