井嶋ナギの日本文化ノート

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飛田新地「鯛よし百番」にて、大正期の遊廓建築を見る。その1


2ヶ月前、大坂・飛田新地にある「鯛よし百番」に行って来ました。


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以前からずっと行ってみたいと思っていたお店でした。なぜなら、ここは、大正時代に建てられた妓楼建築が、そのまま残されている貴重なお店だから。もちろん、現在は遊女屋ではなく、鍋料理のお店です。誰でも予約すれば入れます。




大坂・飛田新地とは


大坂の方ならもちろん、関西の人なら誰でも知っているのだろうと思いますが、普通、飛田新地(とびたしんち)って言われても「なにそれ?」だと思います。関東者の私も、10年ほど前に『飛田百番 遊廓の残照』(創元社)という「鯛よし百番」の写真集を見るまで、全く知りませんでした。

大坂の飛田新地は、もと遊郭、もと赤線、の風俗街。1958年(昭和33年)に「売春防止法」が施行されて以降、日本では「管理売春」は違法になりました。が、法の抜穴をかいくぐって、各地で風俗街は生き残り、今に至っています。そのうちのひとつが、飛田新地。

ここ飛田新地がほかの風俗街と大きく異る点が、2つ。太平洋戦争での空襲にも奇跡的に焼け残った遊廓の町並みが、ほぼそのまま残されていること。しかも、各店の前に女の子が外を向いて座っていて、客はそれを見て女の子を選べる、というシステムが現在も残っていること(江戸時代の吉原の「張り見世」や、オランダやハンブルグの「飾り窓」のようなシステムかと)。なかなか、現代日本においては、かなり、特殊な地域です。



大正時代の妓楼建築、「鯛よし百番」


飛田新地について細かいことは後述するとして、今回の目的は、飛田新地にある、大正時代の妓楼建築「鯛よし百番」です。


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1918年(大正7年)築と言われていますが、大正末期に建てられたという説もあります(『飛田百番 遊廓の残照』より)。戦後、改装なども行われたらしい。でも、どちらにせよ、大正時代に建てられた「貸座敷」(当時の妓楼の呼び方)で、さらに大坂の空襲にも焼け残った貴重な建築であることは確かで、2000年には「登録有形文化財」にも登録されました。

飛田新地の歴史についても詳しく書かれている『さいごの色街 飛田』(井上理津子 新潮文庫)によると、

「もともとは、いちげんさんは入れない格式のある遊廓だったと聞いています」 と、鯛よし百番社長の木下昌子さんは言う。大門近くに「一番」と呼ばれる店があり、入口に近いほど安く、奥まったところに位置する百番は最高級の楼の一つだったともいわれる。売防法完全施行の1958年(昭和33)に料理屋に変わり、万博の年(1970年)に木下さんの夫が買い取り、夫亡き後、木下さんが経営を継いでいる。(P71)


とのこと。本書の最後に、この木下さんの会社(酒類卸業)が破産したと書いてあったので、現在の経営者は変わっているのかもしれません。

とにかく、売春防止法施行の後に、妓楼ではなく料理屋として再スタートして今に至るわけですね。しかも、建て替えずに。しかも、外装・内装をほとんど変えずに。これって、日本では、相当珍しい奇跡のようなケースではないでしょうか?



入口と日光東照宮陽明門


というわけで、いざ、「鯛よし百番」へ。

唐破風に透かし彫りがゴージャスな入口から、入ります。

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玄関で靴を脱ぐと、お店の人が案内してくれます。

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玄関を抜けると、赤い絨毯のロビー。

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ロビーには、イキナリ、日光東照宮の陽明門

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陽明門の奥には、天女が…。

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天女たちに誘われて、門の中へ…

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絢爛豪華な「日光の間」!

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壁や欄間の細工・彫刻が、ため息もの。

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日光東照宮にある左甚五郎の「眠り猫」のモチーフも(笑)。

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徳川家の「葵の紋」がドカーンと。日光東照宮は徳川家康を祀っている神社ですので…。

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天井には、雲龍図。

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とにかく、ゴージャス!

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唐獅子に鳳凰など、桃山風のモチーフがいっぱい。

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2階、喜多八の間


陽明門の横には、2階へ続く階段が。「三条大橋」に見立てられています。

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三条大橋」とは、(江戸〜京都をつなぐ)「東海道五十三次」の京都の起点。鴨川にかかっている橋です。(ちなみに、「東海道五十三次」の江戸の起点は日本橋)。

日光に、三条大橋、東海道五十三次…と、「日本名所めぐり」な仕掛けがチラホラ。そう、実は、この「鯛よし百番」は、「日本名所めぐり」を体験させてくれる、テーマパーク的建築なのです! 




2階はブルーの絨毯。左右に客室があり、すべて個室。

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左の壁には、富士山と旅人の絵。


今回は右の「喜多八の間」に案内されました! 「島田宿」と書かれた看板が立ってます。

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「東海道 島田の宿」という道標も立っていて、旅気分満載。

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島田」宿は、「東海道五十三次」の真ん中あたりの宿場町(静岡県)。東海道を旅した弥次さん喜多さんにちなんで、「喜多八の間」なのでしょう。



一段高くなった場所に、! 遊廓時代は、寝台だったのかも。

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天井や欄間の透かし彫りが、豪華。

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天井にはめこまれた、「川越人足の肩車で大井川を渡る」ようすを彫り込んだ、贅沢な細工。

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東海道五十三次を行く人は、「島田」宿で、「大井川」を渡る必要がありました。ところが、江戸時代、「大井川」は、橋をかけるのも禁止、船で渡るのも禁止(徳川家康が隠居してた「駿府城」の防衛のため)。そのため、大井川を渡るためには、「川越(かわごし)人足」による輿や肩車で渡るしかありませんでした。そんな「大井川」での川越のようすは、浮世絵なんかでもよく見かけるモチーフです。




船を形どったお座敷で、鍋を食べました。

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寄せ鍋+オードブル+飲み物で、一人5000円未満くらい。

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というわけで、まだ紹介したい写真が倍ほどあるので、その2に続きます〜。





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■ 飛田新地「鯛よし百番」にて、大正期の遊廓建築を見る。その1
■ 飛田新地「鯛よし百番」にて、大正期の遊廓建築を見る。その2
■ 飛田新地「鯛よし百番」にて、大正期の遊廓建築を見る。その3
  もしくは、江戸〜戦後にかけての大坂の遊郭の歴史。


■ 「大阪松竹座」「新歌舞伎座」の建築様式と、関西歌舞伎の栄枯盛衰について。




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