井嶋ナギの日本文化ノート

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雪の石川県と、「白骨の御文」

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先週は急きょ、石川県に行っておりました。この2週間の間に、連続して父方の祖母と母方の祖母が他界したためです。数か月前に母方の祖父が他界しているので(→コチラ)、結局、ほんの半年の間に、私にとっての「おじいちゃん」と「おばあちゃん」が一気にみんないなくなってしまいました。

私にとってのおじいちゃんとおばあちゃん(特に母方の)は、まるでタイムスリップしたかのような土地で、日本昔話に出てきそうな築百年以上の古い家に住み、驚くほど旧式な(戦前のような)考え方で暮らしている、ある意味で一番身近な「別世界」の人でした。毎年夏休みに遊びに行くと、何はともあれ「ホトケさん(=家のご先祖様)にお参りせんと」と仏壇のある仏間へと促され、誰かに何かあると「あの家はご先祖様を大事にせなんだから、罰があったったんやわ」とコメントし、お説教の決まり文句は「ご先祖様を大事にせにゃいかんぞ」。

特に、石川県でも浄土真宗の信仰の厚い土地だったので、家にはものすごく巨大な仏壇があって(ちなみに、石川県は仏壇が「伝統的工芸品」として指定されているほど信仰の厚い土地です)、そこにおじいちゃんが毎日座ってお経をあげ、真鍮の台に炊いたご飯をお供えし、お供えが終わると、表面がドライ気味になったご飯を「ホトケさんが食べたご飯を食べると頭がようなるぞー」という口実で、いつも食べさせられていたことなどを懐かしく思い出します。

そんな、自分が暮らす環境とはまったく違う「別世界」が、私は昔から興味深くて仕方がありませんでした。「ナギちゃんは古いものが好きなんやねえ」とよく言われていましたが、古いものが好きというよりも、私が普段暮らしている世界と違う別世界が、自分とつながったものとして存在していることがすごく不思議だったし、物語ばかり読んでいた私には嬉しいことだったのだと思います。


先週、祖母のお葬式が終わった後、「御座(ござ)」という儀式がありました。亡くなった人の家に集落中の人々が集って、御坊(ごぼう)さんと一緒に読経し、法話を聞くという、その土地の昔からの慣習だそうです。雪の降るなか、すき間風を防ぐことなどできないような寒い寒い屋敷の広間に、大勢の人々が集って読経をしました。

読んだお経の中に、蓮如上人が手紙という形で門徒に教えを説いた「御文(おふみ)」というものがあったのですが、これがもともと「手紙」なだけに意味が分りやすくて。特に、「白骨の御文」というのが有名らしく、独特のメロディとリズムとともに、今でも耳から離れず…(独特のメロディとリズムを知りたい方は→コチラ)。かなり興味深かったので、ところどころ略しつつ引用してみますと。


それ、人間の浮生(ふしょう)なる相をつらつら観ずるに、おおよそはかなきものは、この世の始中終、まぼろしのごとくなる一期(いちご)なり。

されば、朝(あした)には紅顔ありて、夕(ゆうべ)には白骨となれる身なり。すでに無常の風きたりぬれば、すなわち二つの眼たちまちに閉じ、一つの息ながく絶えぬれば、紅顔むなしく変じて、桃李の装いを失いぬるときは、六親眷属あつまりて嘆き悲しめども、さらにその甲斐あるべからず。

されば、人間のはかなき事は、老少(ろうしょう)不定のさかいなれば、誰の人も早く後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏を深く頼み参らせて、念仏申すべきものなり。

あなかしこ、あなかしこ。



要するに、「人間の一生ははかないもので、朝はイキイキとした顔をしていたとしても、無常の風が吹けば、夕には白骨と化すのが人間なのです。人生の終わりは老いも若きも関係なく突然やってきます。だから、心から阿弥陀仏に帰依して、念仏をとなえましょう」という内容です。

ちなみに、wikiによると、昔、菊池寛が自ら作っていた文藝春秋の入社試験に、この「白骨の御文」の作者を問う問題があったとか。「昭和初期には宗派を超えて、仏教の有名な著作やことばは、社会人・教養人の常識とされていたことがわかる」、とのことでした。

この御文、お葬式でも読まれていましたが、聞いているだけでだいたいの意味がとれるだけに強烈な印象で…。特に、「朝(あした)には紅顔ありて、夕(ゆうべ)には白骨となれる身なり」のところ。このクダリを聞いていた私の脳裏に浮かんだのは、子どもの頃によく歌ってた『運の悪いヒポポタマス』という歌(「ポンキッキ」で放映)でした。以下↓


月曜日、めでたく生まれたよ
火曜日、学校優等生
水曜日、可愛いお嫁さんもらい
木曜日、苦しい病気にかかり
金曜日、だんだん重くなり
土曜日、あっさり死んじゃって
日曜日、お墓に埋められた
運の悪いヒポポタマス
これでおしまい これでおしまい ルルルールールー



なんとまぁ、悲しい曲を子どもに聞かせたものですね、昔は…(←'70年代)。子どもながらも、歌いながらもの凄く胸が締めつけられたものです…(歌を聞きたい方はコチラのyoutubeをどうぞ。ちなみに、youtubeの書き込みに、「水曜日の嫁さんがやばい病気を持っていたんじゃないか?」という説が挙がってて笑った)。今だったら親から抗議の電話がかかってくるでしょうね、というか、その前に企画が通らないでしょうけど…。

でもきっと、この曲、「子どもにも“人生の無常”を教えてあげなければ」という、熱い思いのもとに作られたのではないか、とふと思いました。昭和初期には「白骨の御文」が教養人の常識だったというのですから、その時代の教養の高い人が、子どもにも人生の本質を教えてやらねば!と思っても不思議はないなぁと。実際、“人生はバラ色だよ~楽しいよ~”というだけでは、「嘘」というものですから。あ、でも昨今では、この不景気やら何やらで、いちいち歌で教えてあげなくても空気でわかる、というものか。


そんなわけで話は脱線しましたが、そんな人間の一生のはかなさについて考えつつ、私にとっての「別世界」はもう無くなってしまったのだなぁ…ということをぼんやりと思った、雪の石川県でした。



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これが石川県の伝統的工芸品である「金沢仏壇」です(母方の実家にて撮影)。この、キンキラキンのキラキラのゴージャスさと言ったら。螺鈿細工とかもスゴイ。子どもの時から「お城みたい~!」と飽かず眺めてました(笑)。「天国にいったらここに住めるんだよ」と言われて、「わぁ!じゃあイイ子でいなきゃ!」と思ったものです。。




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