井嶋ナギの日本文化ノート

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飛田新地「鯛よし百番」にて、大正期の遊廓建築を見る。その1


去年の2015年12月に、大坂・飛田新地にある「鯛よし百番」に行って来ました!


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以前からずっと行ってみたいと思っていたお店でした。なぜなら、ここは、大正時代に建てられた妓楼建築が、そのまま残されている貴重なお店だから。もちろん、現在は遊女屋ではなく、鍋料理のお店です。誰でも予約すれば入れます。




大坂・飛田新地とは


大坂の方ならもちろん、関西の人なら誰でも知っているのだろうと思いますが、普通、飛田新地(とびたしんち)って言われても「なにそれ?」だと思います。関東者の私も、10年ほど前に『飛田百番 遊廓の残照』(創元社)という「鯛よし百番」の写真集を見るまで、全く知りませんでした。

大坂の飛田新地は、もと遊郭、もと赤線、の風俗街。1958年(昭和33年)に「売春防止法」が施行されて以降、日本では「管理売春」は違法になりました。が、法の抜穴をかいくぐって、各地で風俗街は生き残り、今に至っています。そのうちのひとつが、飛田新地。

ここ飛田新地がほかの風俗街と大きく異る点が、2つ。太平洋戦争での空襲にも奇跡的に焼け残った遊廓の町並みが、ほぼそのまま残されていること。しかも、各店の前に女の子が外を向いて座っていて、客はそれを見て女の子を選べる、というシステムが現在も残っていること(江戸時代の吉原の「張り見世」や、オランダやハンブルグの「飾り窓」のようなシステムかと)。なかなか、現代日本においては、かなり、特殊な地域です。



大正時代の妓楼建築、「鯛よし百番」


飛田新地について細かいことは後述するとして、今回の目的は、飛田新地にある、大正時代の妓楼建築「鯛よし百番」です。


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1918年(大正7年)築と言われていますが、大正末期に建てられたという説もあります(『飛田百番 遊廓の残照』より)。戦後、改装なども行われたらしい。でも、どちらにせよ、大正時代に建てられた「貸座敷」(当時の妓楼の呼び方)で、さらに大坂の空襲にも焼け残った貴重な建築であることは確かで、2000年には「登録有形文化財」にも登録されました。

飛田新地の歴史についても詳しく書かれている『さいごの色街 飛田』(井上理津子 新潮文庫)によると、

「もともとは、いちげんさんは入れない格式のある遊廓だったと聞いています」 と、鯛よし百番社長の木下昌子さんは言う。大門近くに「一番」と呼ばれる店があり、入口に近いほど安く、奥まったところに位置する百番は最高級の楼の一つだったともいわれる。売防法完全施行の1958年(昭和33)に料理屋に変わり、万博の年(1970年)に木下さんの夫が買い取り、夫亡き後、木下さんが経営を継いでいる。(P71)


とのこと。本書の最後に、この木下さんの会社(酒類卸業)が破産したと書いてあったので、現在の経営者は変わっているのかもしれません。

とにかく、売春防止法施行の後に、妓楼ではなく料理屋として再スタートして今に至るわけですね。しかも、建て替えずに。しかも、外装・内装をほとんど変えずに。これって、日本では、相当珍しい奇跡のようなケースではないでしょうか?



入口と日光東照宮陽明門


というわけで、いざ、「鯛よし百番」へ。

唐破風に透かし彫りがゴージャスな入口から、入ります。

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玄関で靴を脱ぐと、お店の人が案内してくれます。

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玄関を抜けると、赤い絨毯のロビー。

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ロビーには、イキナリ、日光東照宮の陽明門

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陽明門の奥には、天女が…。

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天女たちに誘われて、門の中へ…

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絢爛豪華な「日光の間」!

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壁や欄間の細工・彫刻が、ため息もの。

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日光東照宮にある左甚五郎の「眠り猫」のモチーフも(笑)。

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徳川家の「葵の紋」がドカーンと。日光東照宮は徳川家康を祀っている神社ですので…。

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天井には、雲龍図。

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とにかく、ゴージャス!

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唐獅子に鳳凰など、桃山風のモチーフがいっぱい。

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2階、喜多八の間


陽明門の横には、2階へ続く階段が。「三条大橋」に見立てられています。

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三条大橋」とは、(江戸〜京都をつなぐ)「東海道五十三次」の京都の起点。鴨川にかかっている橋です。(ちなみに、「東海道五十三次」の江戸の起点は日本橋)。

日光に、三条大橋、東海道五十三次…と、「日本名所めぐり」な仕掛けがチラホラ。そう、実は、この「鯛よし百番」は、「日本名所めぐり」を体験させてくれる、テーマパーク的建築なのです! 




2階はブルーの絨毯。左右に客室があり、すべて個室。

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左の壁には、富士山と旅人の絵。


今回は右の「喜多八の間」に案内されました! 「島田宿」と書かれた看板が立ってます。

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「東海道 島田の宿」という道標も立っていて、旅気分満載。

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島田」宿は、「東海道五十三次」の真ん中あたりの宿場町(静岡県)。東海道を旅した弥次さん喜多さんにちなんで、「喜多八の間」なのでしょう。



一段高くなった場所に、! 遊廓時代は、寝台だったのかも。

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天井や欄間の透かし彫りが、豪華。

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天井にはめこまれた、「川越人足の肩車で大井川を渡る」ようすを彫り込んだ、贅沢な細工。

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東海道五十三次を行く人は、「島田」宿で、「大井川」を渡る必要がありました。ところが、江戸時代、「大井川」は、橋をかけるのも禁止、船で渡るのも禁止(徳川家康が隠居してた「駿府城」の防衛のため)。そのため、大井川を渡るためには、「川越(かわごし)人足」による輿や肩車で渡るしかありませんでした。そんな「大井川」での川越のようすは、浮世絵なんかでもよく見かけるモチーフです。




船を形どったお座敷で、鍋を食べました。

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寄せ鍋+オードブル+飲み物で、一人5000円未満くらい。

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というわけで、まだ紹介したい写真が倍ほどあるので、その2に続きます〜。





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—— 関連記事 ——


■ 飛田新地「鯛よし百番」にて、大正期の遊廓建築を見る。その1
■ 飛田新地「鯛よし百番」にて、大正期の遊廓建築を見る。その2
■ 飛田新地「鯛よし百番」にて、大正期の遊廓建築を見る。その3
  もしくは、江戸〜戦後にかけての大坂の遊郭の歴史。


■ 「大阪松竹座」「新歌舞伎座」の建築様式と、関西歌舞伎の栄枯盛衰について。

仁侠映画について、その3。 博奕と893の歴史について、もしくは修行を愛する日本人論。


前回前々回に引き続き、任侠映画とヤクザと博奕について。


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893の謎


ところで、「やくざ」という呼称自体、賭場で生まれたものだというのを知っていますか? 「893」という数字の組み合わせは、博奕で最も弱くてダメな数字の並び、なのです。そこから、「893=やくざ=世の中の役にたたない者」という呼称が誕生したのだそう。

念のため、「893」の数字について、もう少し詳しく解説しますと。前回の記事でもチラッと触れましたが、明治以降は「手本引き」という博奕が(主に関西で)流行しますが、その他にも、カブ札を使う「オイチョカブ」(近世から)、花札を使う「アトサキ(バッタマキとも)」(明治から)などの博奕がポピュラーに行われていました。細かいルールの相違はありますが、これら(オイチョカブ、アトサキなど)に共通するのは、「札を3枚(もしくは2枚)引いて、その合計の『1の位』が9に近いほど勝ち」というもの。ということは、3枚の合計の『1の位』が0になる組み合わせが最も弱いことになりますよね。つまり、それは、合計が10とか20の場合で、例えば20=8+9+3ですから、「8 9 3」は最もダメな数の並び、ということになるのです。


ヤクザとバクチは、切っても切り離せない関係


しかし、そもそも過ぎる話になってしまいますが、任侠映画には、なぜ必ず博奕シーンが出てくるんだろう?、って思いませんか? 私は素朴にも、思いました。たとえ別事業でメイン収入を得ているような組織でも、賭場を必ず運営するし、祝いの場や手打ち式などのイベントでも、必ず賭場を開くし。なにかというと、賭場、博奕、博打なんですよね…(注:あくまでも過去のやくざ文化の話です)。やくざさんが博奕好きなのはいいけど、なぜ必ずバクチ? ほかにやることあっても良さそうなものなのに? と、ちょっと不思議でした。

確実に言えるのは、江戸時代の昔から、やくざとバクチは切っても切り離せない関係だった、ということです。基本的に、やくざ者は既成のコミュニティからはずれてしまったアウトローですから、生きていくために自力で現金を得なければなりません。そこで手っ取り早いのが、バクチ。つまり、バクチは、「てっとり早くまとまった現金を手に入れる方法」として最もポピュラーだった(そして、他に方法がなかった)、ということなのではないでしょうか。

また、江戸時代から、バクチは表向き禁止されていたため、カタギの者が賭場を運営するということはほぼ無く、賭場は、そのスジの者が運営するものでした。そして、そのマージン(関東ではテラ銭、関西ではカスリ)が、その賭場を運営する組織の収入となっていました。明治以降もこうした「習慣」は不文律として続いており、このような「博徒」をオリジンとする老舗組織は今も存在していて、「博徒系」と呼ばれたりします。

念のため記しておくと、昔の賭場は、おそらく今で言う「ゲームセンター」みたいなものだったのでしょう(昔は娯楽がそうないですから)。賭場に遊びに来る客も、ヤクザ者やプロの博徒(パチプロみたいな)だけでなく、リッチなカタギの人々(旦那衆)もたくさんいて、運営側は「いかに旦那衆に気持よく遊んでもらうか」ということに腐心しつつ、賭場をマネジメントしていたそうです。

そうそう、前回の記事で書いた、藤純子の実父にあたる俊藤浩滋プロデューサーも、戦中に近くの賭場にカタギの客として出入りしたことから、任侠界を垣間見ることになり、戦後、東映で仁侠映画ジャンルを作り上げることになったのです。以下、俊藤浩滋氏の聞き書きから。

博奕場には、電球に真っ黒の頭巾を被せて、いつも三つぐらいの賭場が開かれていた。旦那がするのと、港の人夫のような連中がするのと、中ぐらいのと。博奕は、札を使う「手本引き」と、札のかわりにサイコロを使う「賽(さい)本引き」の二種類で、素人はみな賽本引きのほうをやった。
いまと違うて、博奕は現行犯で、やってるところを捕まらねばよかったから、博奕場にはちゃんと見張り番がいて、警察がやってきたときには盾になって、その隙にお客さんを安全に逃がした。自分らは捕まってもいい、職業だから。けれど、もしお客が警察に挙げられたら、親分の顔が潰れるわけで、昔の博奕打ちの連中はものすごく堅かった。

任侠映画伝』(俊藤浩滋・山根貞男 講談社)より



ちなみに、こうしたある意味で「任侠界の理想」のような世界は、おそらくほんの一部であり、戦後はそれこそ『仁義なき戦い』のごときカオス状態を経て、現行犯以外でも賭博罪で検挙できるようになり、暴対法、暴排条例なども施行され、今に至っています。なので、こうした「任侠界の理想」は、「古き良き時代のファンタジーであり歌舞伎」だと思って、私は楽しんでおりますが(念のため)。


もちろん、現在は、公営の賭場(競馬、競輪、競艇、オートレース)があるし、パチンコも、サッカーくじも、宝くじも、普通にゲームセンターもあるし、というか、もう、その他いろんな娯楽があるわけで。組が運営する昔ながらの本格的手本引きによる盆、というのは既に一般的ではないでしょうね(一部の地域では今も盛んらしい…と聞いたことがありますが、真偽のほどはわかりません)。


日本ならでは? 精神修行としての博奕


それと、もうひとつ。これは、あくまでも私が本や映画などで感じたことですが、(ひと昔前の)彼らやくざ者にとっては、博奕は、伝統芸能というか、伝統文化としての意味合いがあったのではないか、と(たとえば、武士における、剣術のような)。また、彼らにとって、賭場は、金銭を得る場所であると同時に、修行の場でもあったのではないか、と(武士における、剣術道場のような)。

そう言えば、『完本 山口組三代目 田岡一雄自伝』(徳間文庫カレッジ)にも、以下のようなシーンがありました。

翌日から、わたしはゴンゾウ部屋に一日中閉じこもったまま、鏡に向かってバクチの練習をはじめていた。(中略)

鏡のまえに正座して、右手を懐へ入れ、懐のなかで札を繰ってみる。鏡を見て練習するのは、自分の癖を矯正するためであり、同時に、片時も寸分の隙をみせない姿勢を保つためでもある。
懐のなかで札を繰るときに右腕が動かないように、左手で右肘を固定させてみる。(中略)

ゴンゾウ部屋でただ一人、わたしは日の暮れるのも忘れて、毎日、鏡に向かって練習に余念がなかった。


これを読んだとき、「わー!日舞と同じだ!」と思いました。肩が、動くんですよ、人間って…。本当に上手な舞踊家さんは、肩をぐーっと落として、肩を動かさないでキープしたまま、いろんなフリを踊るんですが、至難の業。でも、なるべくそんな癖を矯正すべく、鏡に向かって肩を動かさないよう、師匠が特訓してくださっています。

と、閑話休題。それにしても、さすが山口組を巨大組織にまで発展させた、三代目組長。博奕(ここでのバクチは「手本引き」です)の猛特訓。しかも自ら率先して、自己トレーニング。わりとサラッと読み飛ばす部分かもしれませんが、私は「あー、これだな」、と思いました。


そんなわけですが、日本人って、本当にどんなことでも、「〜道」にしてしまいますよね? ここで言う日本的な「道」とは、「修行」と「権威化」とさらに「集金システム」の3要素が内包されたものだと、私は捉えております(良い悪いの問題ではなく、現実として)。

だけど、そのなかでも精神的・肉体的な「修行」の要素が、最も大切であることは、間違いありません。キモノを着るのも(衣紋道、着付道)、字を書くのも(書道)、歌をよむのも(歌道)、お花を活けるのも(華道)、お香も(香道)、お茶を飲むのも(茶道)、ぜんぶ「道」ですものね、日本では(笑)。もう少ししたら、蕎麦打ち道、寿司道、キャラ弁道なんかも出てきそうな…(銀座○○兵衞流家元江戸前寿司、みたいな家元制度になったりして)。なかなか、すごいことだと思いますよ、それって。そう考えたら、博奕道、当然、ありますよね〜。というか、既に、極道とか仁侠道なんて言葉もあったんだった(笑)。

修行大好き、日本人。私がなぜ昔からヤクザ映画・任侠映画に惹かれてしまうのか、自分でも今ひとつよく分からなかったんですが、もしかして、様式美云々、キモノ云々、健さん文太お竜さん云々、ということよりも、ストイックな修行を愛する日本人的な「道」の精神が感じられるから、そこになにか郷愁のようなものを感じてグッときてしまうのかも……。東映任侠映画、「あなたは『日本人的感性』の持ち主か否か?」を試す踏み絵(?)としても、結構、機能しそうな気がしたのでした。






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任侠映画、博奕、手本引き 関係の記事。

「名作映画に描かれた日本の美と享楽の世界」レポートです。
   〜任侠映画講座、開催しました!

「仁侠映画について、その2。
   『緋牡丹博徒』での華麗なる手本引き、もしくは、ややこしい任侠映画タイトルを整理する。」

「仁侠映画について、その3。
   博奕と893の歴史について、もしくは修行を愛する日本人論。」


仁侠映画について、その2。『緋牡丹博徒』での華麗なる手本引き、もしくは、ややこしい任侠映画タイトルを整理する。


前回の記事「早稲田大学オープンカレッジ講座「名作映画に描かれた日本の美と享楽の世界」レポートです。 〜任侠映画講座、開催しました!」に引き続き、東映任侠映画について、です。

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緋牡丹お竜・藤純子の、華麗なる「手本引き」シーン!


前回、博奕の華と言われている「手本引き」について言及しましたが、講座では、具体的な映画(『緋牡丹博徒』そのほか任侠映画)の賭場シーンをお見せしつつ、「手本引き」のルールについて解説しました。

とにかく、「手本引き」のほんの基本だけでもルールを知ってると、映画に出てくる博奕シーンの緊迫感が伝わってきて、より深く作品を楽しめるようになるんですよ! 何をやってるのか全くわからないと、「博奕シーン早く終わらないかな〜(早回ししちゃおうかな)」と思いかねません(昔の私がそうでした笑)。しかし、東映任侠映画は、こうした細部のリアリティにものすご〜くこだわって作っているので、それを堪能しないのはちょっともったいないなと思うのです。

特に、藤純子さんの『緋牡丹博徒』シリーズなんて、実は、藤純子演じる緋牡丹のお竜が、「手本引き」の「胴」をつとめるシーンにこそ、見どころがあるのですから!

「丁半」の壺振りならともかく、「手本引き」の胴を女性がつとめるということは、通常はありえないそうで。前回の記事にも書きましたが、「手本引き」は複雑かつ奥深い神経勝負ゆえ、体力的にも神経的にも消耗が激しい。ゆえに、実際は、女性が「手本引き」の胴をつとめるのは無理、とのこと。というか、任侠界は歌舞伎界と同じく、「男の世界」ですから。

だけど、『緋牡丹博徒』では、美しい女博徒が、華麗に「手本引き」の胴をつとめる…! あまり言われていませんが、これこそが、『緋牡丹博徒』シリーズの斬新かつ画期的な点であり、見どころのひとつなのです。

講座では時間が足りず、いろいろな映像をお見せできなかったので、ここで、藤純子(現・富司純子)さんが「手本引き」の胴をつとめるシーンを、いくつかご紹介! ついでに、お竜さんのジミ粋なキモノ姿もチェックしてみてください。(以下、手持ちのDVDを撮影した画像です)


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緋牡丹博徒』(1968年 山下耕作監督)
記念すべきシリーズ第一作。オープニングは賭場シーンから始まります。


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緋牡丹博徒 一宿一飯』(1968年 鈴木則文監督)
賭場を荒らしているカップル(西村晃&白木マリ)をギャフンと言わせるシーン。この作品では、菅原文太が、なんと敵の一人として登場ですよ(お竜さんの味方ではなく)。1968年当時、文太はまだ主役級ではなかったのです…。


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緋牡丹博徒 鉄火場列伝』(1969年 山下耕作監督)
緋牡丹のお竜、敵方の組の賭場に参上。敵に囲まれたまま胴をつとめ、最後に敵のイカサマを見破る!という、スカッとするシーン。


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緋牡丹博徒 お竜参上』(1970年 加藤泰監督)
シリーズ中最高傑作とも言われる、シリーズ第6作。上画像は、羽織の下で「繰り札」を繰っているところ(→繰り札については前回の記事を参照)。

★ 本作での、お竜さんと文太による名シーン「雪の今戸橋」の場について書いた記事はコチラ→「美女とキモノ 映画におけるキモノ美女の研究」。 コダカナナホさんのお竜さんイラストが素敵なので、ぜひ御覧ください♪



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緋牡丹博徒 お命戴きます』(1971年 加藤泰監督)
小さなカワイイ男の子が登場し、お竜さんのあたたかな母性愛が溢れまくる、大傑作。井桁絣の越後上布のような単衣に、黒の半襟黒の博多帯、と男装のようなキモノ姿!



さらに、『緋牡丹博徒』シリーズ以外での、藤純子×「手本引き」シーンをご紹介。

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女渡世人』(1971年 小沢茂弘監督)
母を探しつつ、修行渡世の旅をつづける妻恋いお駒シリーズ。白地の染めのキモノに、帯は半幅帯を割りばさみにしているのは、「とうに女は捨てております」という意思表示かと。


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日本侠客伝 昇り龍』(1970年 山下耕作監督)
一体何回映画化されてるんだ…と言いたくなるほど映画化されている、火野葦平原作の『花と竜』の、何回目かの映画化。しかも『日本侠客伝』シリーズでは、第9作「花と龍」(マキノ雅弘監督)と第10作「昇り龍」(山下耕作監督)が、両方とも同じ『花と竜』が原作で、両方とも主演がほぼ同じ、というややこしさ(笑)。なぜ…。

それはいいとして、上記画像は、『日本侠客伝 昇り龍』です。女刺青師・お京(藤純子)は、賭場の胴もつとめており、その賭場で運命の男(高倉健)と出会うシーン。大正時代の設定もあってか、紫色の刺繍半襟とか、大きなべっ甲の簪とか、大正ロマンふうのキモノ姿。



というわけですが、藤純子さん、美しくて、カッコよくて、色っぽいですよね〜。しかもふっくらした温かみ、情け深さ、優しさ、があってですね…(って、映画の中のキャラクターと完全にごっちゃになっちゃってますが)。




東映任侠映画の、ややこしいタイトルを整理する方法


それと、おまけですが。

以前、「ナギさんが東映任侠映画が面白いっていうから、DVD借りようかと思ったんだけど、同じようなタイトルがいっぱいあり過ぎて、どれを借りていいかわかんなかった」と言われたことがあります。

そうなんです! まず、任侠映画の何か難しいか? っていうと、タイトルなんですよ(笑)! とにかく、タイトルがややこし過ぎる。日本女侠伝、日本侠客伝、昭和残侠伝、明治侠客伝、…といった似たようなタイトルが続くうえに、さらに、それぞれがシリーズ化されていて何本もある。『昭和残侠伝 唐獅子牡丹』『昭和残侠伝 人斬り唐獅子』『昭和残侠伝 唐獅子仁義』…といった調子で、これだけで、「なんかもうタイトルが面倒くさいからいいや」と嫌厭されてしまってもしょうがない、と思うほど。

が、それにもコツがあるんですよ! 私が長年(?)かけて体得した、東映任侠映画のタイトル整理法。ポイントは、以下のとおり。

スター役者」を覚える

スター役者のシリーズもの」を覚える

シリーズもの」と「それ以外」で分類する

以上です。これだけで、かなり脳内が整理されるかと! 当時の東映では、スター俳優を中心にプログラムを組んでおり、スターは(ひどい時は)毎月のように出演作が撮影され、ある意味で「月刊 鶴田浩二」みたいな感じだったため、実は、分類しやすいとも言えるのです。

脳内整理のために、以下に、東映任侠映画における「スター役者」と「スター役者のシリーズもの」を掲げておきます。これがすべてではないですが、でも以下の作品だけも既に膨大な作品数になるので、DVDなどを選ぶ際にはかなりヒントになるかと…。

■ 鶴田浩二:『博徒』シリーズ、『博奕(ばくち)打ち』シリーズ、『関東』シリーズ
■ 高倉健:『網走番外地』シリーズ、『日本侠客伝』シリーズ、『昭和残侠伝』シリーズ
■ 藤純子:『緋牡丹博徒』シリーズ、『日本女侠伝』シリーズ、『女渡世人』シリーズ
■ 若山富三郎:『極道』シリーズ、『シルクハットの大親分』シリーズ
■ 菅原文太:『関東テキヤ』シリーズ、『現代やくざ』シリーズ、『まむしの兄弟』シリーズ、『仁義なき戦い』シリーズ、『トラック野郎』シリーズ


というわけで、初めて任侠映画のDVDを借りてみようと思った方、もしくは、以前タイトルを見てウンザリしたことのある方、ぜひ上記を参考にしていただけたら嬉しいです♪

ちなみにですが、私の最近のお気に入りは、コミカルな文太が最高に素敵な、『関東テキヤ』シリーズと『まむしの兄弟』シリーズ。年齢とともに、コメディ俳優としての菅原文太の奥深い味わいがわかるようになり、ニヤニヤしながらその味を噛みしめてます(笑)。オススメです!




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私の藤純子本・任侠本コレクションの一部。インターネットのなかった学生時代、キネ旬が任侠映画解読の唯一の「参考書」であり、藤純子写真集が粋系キモノコーディネートの唯一の「スタイルブック」でしたよ…(遠い目)。




またもや全部書ききれなかったので、次回に続きます〜〜。


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■「美女とキモノ 映画におけるキモノ美女の研究
『緋牡丹博徒 お竜参上』について書きました。 イラストレーターコダカナナホさんとのコラボ企画です! コダカナナホさんのイラストが素敵なので、ぜひ御覧くださいませ♪


以下、早稲田大学エクステンションセンターの講座に関する記事

「人物像で読みとく着物ファッション
    〜花魁、芸者から町娘、モダンガールまで」

「人物像で読みとく着物ファッション」についてのレポートです

「着物で読み解く名作日本文学
    〜夏目漱石から、泉鏡花に永井荷風、有吉佐和子まで」


「歌舞伎で読み解く着物ファッション
    〜花魁、芸者から御殿女中、町娘に悪婆まで」

「歌舞伎で読み解く着物ファッション」についてのレポートです

「江戸のラブストーリー『人情本』に見る、江戸娘の着物ファッション」   〜『春色梅児誉美』を読んでみませんか?
「江戸のラブストーリー『人情本』に見る、江戸娘の着物ファッション」レポートです 〜『春色辰巳園』を読んでみましょう!

「名作映画に描かれた日本の美と享楽の世界
   〜歌舞伎、浮世絵から、任俠、花柳界、戦前モダン文化まで」

「名作映画に描かれた日本の美と享楽の世界」レポートです。
   〜任侠映画講座、開催しました!

「仁侠映画について、その2。
   『緋牡丹博徒』での華麗なる手本引き、もしくは、ややこしい任侠映画タイトルを整理する。」

「仁侠映画について、その3。
   博奕と893の歴史について、もしくは修行を愛する日本人論。」


早稲田大学オープンカレッジ講座「名作映画に描かれた日本の美と享楽の世界」レポートです。 〜任侠映画講座、開催しました!

昨年は、春・夏・秋と、早稲田大学エクステンションセンターにて連続で講座をおこなった一年でした。今年も、春・秋に講座を行う予定です! …というわけで、新年早々、去年を振り返りつつ今年を見据えるという意味で、昨年の講座のレポートを書きたいと思います。

昨年行った講座は、以下の3つの企画です。

歌舞伎で読み解く着物ファッション
 〜花魁、芸者から御殿女中、町娘に悪婆まで


江戸のラブストーリー「人情本」に見る江戸娘の着物ファッション
 〜『春色梅児誉美』を読んでみませんか?


名作映画に描かれた日本の美と享楽の世界
 〜歌舞伎、浮世絵から、任俠、花柳界、戦前モダン文化まで


というわけで、今回は、昨年秋におこなった「名作映画に描かれた日本の美と享楽の世界」について、レポートします!



学校では教えてくれない日本文化を、日本映画で学ぶ!


今回の講座は、キモノの講座ではありません。ひとことで言えば、「日本映画で、日本文化を学ぼう!」という内容。しかも、「任侠」「吉原」「花柳界」など、映画や芝居や小説などでは「おなじみ」の世界なのに、学校や親には決して教えてもらえない日本文化、というのがテーマ(笑)。

この講座を企画した理由については、以前の記事で詳しく書きましたが(→コチラ)、実は、私たち現代人にとっては「なじみがない」「知識がない」にも関わらず、古い映画や芝居には、やたらとよく出てくる背景世界・背景文化がある、と思ったからです。

それが、「任侠世界」「花柳界」「吉原」「浮世絵」「歌舞伎」「モダン文化」の世界。

これらの特殊(?)な世界を取り上げて、その歴史、背景、ルール、などを細かく見ていくことで、古い日本映画やお芝居、歌舞伎、小説、をより深く楽しめるようにと思い、企画いたしました。

実は、私自身が、古い日本映画にハマり始めた高校生時代、その映画の舞台になっている世界・文化の知識がなさすぎて、もどかしい、歯がゆい、ジリジリした思いで映画を見ていたんです。当時は、調べようにも今ほどイロイロな文献も無く、もちろんネットも無く、すべてが「未知との遭遇」だったため、いつも夢に浮かされたような日々でしたね…(「情報が無い」という状態は、ハングリーな「飢え」からの情熱が生まれやすいという意味で、良いことでもあったのかもしれませんが)。

というわけで、今回の講座は、以下の5つの世界を設定して、解説しました。以下画像は、それぞれの回で使用したスライドの表紙です。(※ この記事の最後に、表紙で使用した映画作品のリストを載せておきました)


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念願かなって、任侠映画講座、開催!


で。今回の講座で、イチバンの目玉であり(と、私が勝手に思っていただけですが笑)、かつ、受講してくださった方のアンケートでも評判がよかったのは、「任侠世界 〜侠客、博徒、そして女侠客」の回です!!!! 折しも、山口組分裂事件が起こった時期で、やくざ屋さんに一気に注目が集まった時でしたから、「何とタイムリーなんだ!」と勝手にひとりで大盛り上がり、しばらく自宅では東映チャンネル付けっぱなし「東映・やくざ映画まつり」でしたが…(笑)。

とにかく、学生時代から何故か大好きだった、東映やくざ任侠映画。今から思えば、当時の私にとって東映任侠映画は、わかりやすい歌舞伎だったのかもしれない、と思うのです。様式美、残酷美、嗜虐美義理と人情懐古趣味と江戸趣味。そんな歌舞伎的な要素が、現代人にもわかりやすい形で、ギュッと詰まっているのが、東映任侠映画。だから、「えー、やくざ映画なんて」という偏見を持っていたとしたら、本当にもったいないなーと。特に、歌舞伎好きの人なら、必ず任侠映画も面白いに違いない。そんな思いをずっと持っていたので、念願叶っての、やくざ映画講座でした。


やくざ映画講座の回では、以下の3本立でお話しいたしました。

1. 東映任侠映画の歴史(1962〜1973年)
2. やくざ者の歴史(江戸〜近代)
3. 任侠文化と博奕(バクチ)(特に、手本引きについて)



東映任侠映画の華、博奕(バクチ)シーン!


今回のこの任侠映画講座のなかでも、かなり力を入れたのは、博奕(バクチ)シーンの解説、でした(笑)。でも…バクチって…違法ですから…あまり大っぴらに「バクチのやり方を解説しまーす!」っていうようなものではないですよね…。でも、東映任侠映画を見るに際して、博奕のちょっとした基本を知っているだけでも、面白さがグンと深まるんですよ! 

というのも、実は、東映任侠映画では、金筋のやくざ屋さんを撮影所につれて来て、博徒のしきたりや博奕シーンの考証指導をキッチリやってもらったそうで、他の映画会社のなんちゃって博奕シーンとは大違いなんですよ。


実際、そのスジの方の名前もちゃんとクレジットされてます。

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緋牡丹博徒 花札勝負』(1969年 加藤泰監督)原案・石本久吉

彼は、当時、大坂の「小久一家」総長で、上方の任侠界の長老だった人。祖父が国定忠治の世話になっていたり、会津小鉄と親しかったりと、言わば「任侠界のエリート」といった人物です。また、手打式指導のクレジットも発見(注:手打ち式=組と組の抗争の後に、和解する儀式のこと)


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緋牡丹博徒 お竜参上』(1970年 加藤泰監督)手打式指導・石本久吉

その他、クレジットされていなくても、ホンモノのやくざ屋さんが撮影所で指導することもしばしばで、時には、博奕シーンにエキストラとして出演していたり、刺青大会シーンではホンモノの倶利迦羅紋紋がズラリとか、いろいろ、なんていうか、見ればわかりますが、迫力が、いろいろ、スゴイです…。

そんな、本格的リアリズムに溢れた任侠映画作りを推し進めたのが、俊藤浩滋プロデューサー(ご存知、藤純子(現・富司純子)さんの実父であり、さらに言えば、映画『夜の蝶』のモデルになった有名クラブ「おそめ」マダムの愛人、のち夫)。戦前からその賭場に出入りし、そのスジの人と付き合いがあった俊藤プロデューサーの、「古き良き時代のホンモノの任侠界を描きたい」という情熱あってこそ、あの傑作映画群が生まれたと言っても過言ではない!ってくらい、スゴイ人。以下、俊藤氏の聞き書きより。

私は、脚本を書く小沢茂弘と村尾昭と一緒に、その方面の知り合いをはじめ、いろんな人のところへ取材に行った。(中略)いざ撮影となったときには、ホンモノの方に来ていただいて現場であれこれ意見を聞き、主人公が命を賭けて勝負する博奕場のシーンでは出演もしてもろうた。

    『任侠映画伝俊藤浩滋・山根貞男 講談社 より





博奕の花、「手本引き」とは?


日本の博奕にはさまざまな種類があり、時代や地域によっても相違がありますが、大きくわけると、「サイ(サイコロ)」と「フダ(札)」。江戸時代は、2個の「サイ」を使った「丁半」がほとんどでしたが(よくある、ツボにサイコロを入れて伏せて開けるアレです)、明治以降には、「フダ」を使った複雑な博奕が流行します。関東では、花札を使う「アトサキ(バッタマキ)」が主流に、関西では、花札ではなく独自のフダを使う「手本引き(てほんびき)」が主流に。


そう、この「手本引き(てほんびき)」こそが、「博奕の花」「究極のギャンブル」とも言われ、複雑かつ奥深い、究極の頭脳ゲームであり、博奕のなかで最も格が高いと言われているバクチ!(キモノと同じように、博奕にも「格」があるんですねぇ…) そして、東映任侠映画に欠かせないのが、この「手本引き」による本格的な博奕シーンなのです…! もちろん、我らが緋牡丹のお竜さんがイカサマを見破ったり、悪玉をコテンパンにやっつけたりする賭場シーンで行われているのも、実は、ほとんど「手本引き」なんですよ〜(たまに「アトサキ」もやってますが)。

実際の「手本引き」にはものすご〜く複雑なルールがあるんですが、一言で言ってしまうと、「胴(親)が選んだ数字を、客が当てる」というもの。特徴は、以下のような独自のフダを使用します(井嶋私物)。今回の講座にこのフダをお持ちしましたが、皆さんとても興味をもってくだり、写真を撮られている方もいらっしゃいました。

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上記が、胴(親)が使用する、「繰り札(くりふだ)」。左から、1〜6の数字が書かれています。


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上記が、張り子(客)が使用する、「張り札(はりふだ)」。左から、1〜6の数字が書かれています。

なんというか、デザインが素晴らしいので、お金を賭けなくても、ちょっと遊んでみたくなりますよね〜(笑)。

ゲームの流れをカンタンに説明しますと。まず、「胴」が客に見えないように「繰り札」を1枚選び、手ぬぐい(「紙下」)に包んで、手前に置きます。客は、胴が選んだ札の数字を推測して、手持ちの「張り札」を裏のまま置き、そこに現金を賭けます。「勝負!!」の掛け声で、「胴」が札をめくり、選んだ数字が明らかに…。当たった張り子は配当金をゲット、ハズレた張り子は賭金没収、という流れ。

こんな感じで、おこないます。↓

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日本侠客伝 昇り龍』(1970年 山下耕作監督)より

上部中央に座ってるのが、「」。その両隣にいるのが、「合力」(進行係、配当計算係、見張り役、などの役目)。そのほかは全員「張り子」(客)。

ちなみに、札や現金を張る、白い板場を、「盆(ぼん)」と言います。今でも、「ボンクラ」って言いますけど、実は、この博奕場の「盆」が語源。「合力」の役割を果たすのは組の中堅以上の者ですが、瞬時に客の配当金を計算したり、さまざまな判断をしなければならず、それができる頭の回転が早い者を「盆に明るい」と言い、それができないザンネンな者のことを「盆に暗い → ボンクラ」と言ったそうですよ〜。任侠映画講座、勉強ニナリマスネ(笑)!



というわけですが、任侠映画ネタ、書きたいことが多すぎて、長くなってしまったので、次回に続きます〜〜!

続きは、コチラへ。
「仁侠映画について、その2。『緋牡丹博徒』での華麗なる手本引き、もしくは、ややこしい任侠映画タイトルを整理する。」
「仁侠映画について、その3。 博奕と893の歴史について、もしくは修行を愛する日本人論。」






★以下は、記事の冒頭にアップした、スライドの表紙画像に使用した映画のリストです。

【歌舞伎】歌舞伎の影響、歌舞伎役者の活躍:
雪之丞変化』1963 大映 監督:市川崑 出演:長谷川一夫、山本富士子、若尾文子、市川雷蔵、2中村鴈治郎、8市川中車

【浮世絵 吉原】人気浮世絵師と吉原遊郭:
大江戸五人男』1951 松竹 監督:伊藤大輔 出演:阪東妻三郎、山田五十鈴、花柳小菊、市川右太衛門、高峰三枝子

【花柳界】芸者と遊女、その歴史と生活:
祇園の姉妹』1951 第一映画 監督:溝口健二 出演:山田五十鈴、梅村蓉子

【任侠世界】侠客、博徒、そして女侠客:
緋牡丹博徒 一宿一飯』1968 東映 監督:鈴木則文 出演:藤純子、鶴田浩二、西村晃、白木マリ、若山富三郎

【戦前モダン文化】昭和初期のモダンガールと銀座:
限りなき舗道』1934 松竹 監督:成瀬巳喜男 出演:忍節子、香取千代子、山内光、井上雪子





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早稲田大学オープンカレッジ講座「人情本に見る江戸娘の着物ファッション」レポートです。『春色辰巳園』を読んでみましょう!


昨年は、春・夏・秋と、早稲田大学エクステンションセンターにて連続で講座をおこなった一年でした。今年も、春・秋に講座を行う予定です! …というわけで、新年早々、去年を振り返りつつ今年を見据えるという意味で、昨年の講座のレポートを書きたいと思います。

昨年行った講座は、以下の3つの企画です。

歌舞伎で読み解く着物ファッション
 〜花魁、芸者から御殿女中、町娘に悪婆まで


江戸のラブストーリー「人情本」に見る江戸娘の着物ファッション
 〜『春色梅児誉美』を読んでみませんか?


名作映画に描かれた日本の美と享楽の世界
 〜歌舞伎、浮世絵から、任俠、花柳界、戦前モダン文化まで


というわけで、今回は、昨年夏におこなった「江戸のラブストーリー「人情本」に見る江戸娘の着物ファッション」について、レポートします!

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「人情本」ジャンルとは?


人情本(にんじょうぼん)」という江戸時代の小説ジャンルがあるのを、ご存知でしょうか? 江戸時代後期(天保以降)に流行したジャンルで、ひとことで言えば、当時の恋愛小説です。もちろん、それまでも男女の恋愛を描いた文芸作品はありました。が、あくまでも「クロウト女性(遊女とか花魁)と客」の関係だったり、あくまでも「男目線の(都合のいい)恋愛」だったり、でした。

ところが、「人情本」では、さまざまな職業の女性市井のシロウト娘までも登場させ、女性の切ない恋心や繊細な心の動きを(それなりに)細かく丁寧に描きました。また、当時の若い男女のリアルな会話をイキイキと描写。そうした点で、とても画期的な新しい文芸だったのです。

さらに言えば、「人情本」には、江戸で人気の音楽(清元などの浄瑠璃)や、イケてるお洒落(着物の描写が細かい!)、流行ってる言葉づかい、などの流行情報もふんだんに盛り込んだり、人気絵師による挿し絵(着物の柄などが細かい!)もとても華やかでオシャレで、いろいろな意味でヒット要素が盛りだくさんのジャンルだったのですね。


「人情本」の嚆矢、『春色梅児誉美』


そんな「人情本」の嚆矢と言える作品が、『春色梅児誉美(しゅんしょく うめごよみ)』です。作者は、為永春水(ためなが しゅんすい)。以下の画像は、実際の『春色梅児誉美』、江戸時代に刷られた和本です(井嶋私物です)。


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前回の記事でも、歌舞伎版『梅ごよみ』(玉三郎&勘三郎ver.)と絡めてご紹介したので、ぜひコチラのページ(「早稲田大学オープンカレッジ 講座「歌舞伎で読み解く着物ファッション」は、このような内容で行いました!」)も見ていただけると嬉しいのですが、基本的には、「イケメン男」と女子の痴話喧嘩とかイチャイチャとか、「イケメン男」をめぐる女子同士のいがみ合いとか、「イケメン男」のサイテーな優柔不断、が話のメインです(笑)。

どんなお話なのかわかりやすいように、講座では、以下のような人物相関図を作りました!


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どうでしょう? 面白そうですよね?! 

この、イケメン丹次郎(吉原の遊女屋「唐琴屋」の跡継ぎ=金持ちの息子だが、ゆえあって流浪の身)をめぐって、女たちが火花を散らしまくります! バチバチバチ!



『春色辰巳園』を読んでみましょう!


『春色梅児誉美』は大ヒットしたため、シリーズ化されて、全部で5作あります。第1作の『春色梅児誉美』ももちろん面白いのですが、実は、私は、その第2作目の『春色辰巳園(しゅんしょく たつみのその)』が最も好きでして…!

前回の記事(「早稲田大学オープンカレッジ 講座「歌舞伎で読み解く着物ファッション」は、このような内容で行いました!」)でもご紹介した、「深川芸者・米八が、イケメン丹次郎から『羽織』を奪い取って、泥の中に投げつけて、下駄で踏みまくる!」という面白エピソードも、『春色辰巳園』のいちエピソード。…というわけで、このエピソードの部分の原文を、講座でも読みました。今回のこの記事でも、その部分をチラッとご紹介しますね。


(それまでのあらすじ)

売れっ子深川芸者の、米八(よねはち)と仇吉(あだきち)は、イケメン丹次郎をめぐる、恋のライバル同士。ある時、仇吉が、イケメン丹次郎に、自分の紋を入れた『羽織(はおり)』を仕立ててプレゼントした。それを知った米八は、悋気と嫉妬とジェラシーに燃え上がり、丹次郎からその『羽織』をはぎ取って、地面の上の泥に投げつけ、さらには駒下駄で踏みまくった!


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丹次郎「コレ、この女ァ、気がちがったか!」
米八「サァ、羽織を泥だらけにしたがわるいかァ!」


そんな米八をなだめるため、イケメン丹次郎は米八とイチャイチャし始めます(いつもの常套手段です。サイテーです笑)。

そうした状況に気がついた仇吉、カッ!としてその場にイキナリ乱入! そのときの状況は、以下。


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仇吉「(モシ、米八)つぁん。今ちょっとうけたまわったが、わちきが紋の付いた羽織がお気にさわって、泥に踏み込んで、まだ飽きたらねぇで、だいぶ丹さん(丹次郎のこと)に洗いだてをしなさるが、どうでもつれてとやかくと揉めた挙句は、丹さんがいつもしみじみ離れがたない兼言の積もる仇吉丹次郎と、命をかけた二人が仲。お気の毒だが、米八つぁん。どうでお前は無い「縁」だと思い切って、丹さんはわちきにおくれな」

米八、せせら笑い、
米八「御念の入ったご挨拶だが、まァ、よしにしましょうよ。ひとの亭主を盗んでおいて、知れた時には貰おうとは、なるほど(お前はいいムシだ)」

(注:( )内は、上記の画像からはみ出てしまった文言です)


…といった調子で、「口」でのケンカが始まります。言い合いはさらに続き、最終的には「手」が出て、取っ組み合いのケンカになるのでした…。


その後も、米八と仇吉のいがみ合いは、折にふれて起こりまして。最終的には、米八が仇吉に「果し状」を提出! その結果、またもや激しいバトルが勃発! こんな感じ↓で、取っ組み合いのケンカを繰り広げる、売れっ子美人芸者ふたり(笑)。


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「恋風や 柳の眉を つの目だて」



『春色梅児誉美』を初めて読んだ頃の思い出


というわけで、まぁ、くだらない…と思いつつも、クスッと笑ったり、ちょっぴり同情したり、とても楽しい江戸ラブストーリーなんです。何よりも、「江戸時代後期の江戸の娘になったような気持ち」を味わえるのが、本当に楽しくて…! 大学生の時、この作品を読んで初めて、江戸時代がググーッと自分に近くなったのを、今でも忘れることができません。

そうそう、『春色梅児誉美』のトリコになった頃、私は神楽坂の料亭でバイトをしておりました。そうしょっちゅうお客様が来るわけでもなかったので、岩波の古典文学大系『春色梅児誉美』を持ち込んで、店番しながら読んでたんです。しかも、あまりに面白くて、客が来ても読むのをやめられず、もう一人のバイトの女の子に接客をまかせて、夢中でこれを読みまくり(ヒドイ)。しかも、その料亭の女将さんの息子さん(マスターと呼ばれていた)がやって来て、「あれ、君、なんで接客しないの?」と言ったのに対し、「あ、○○ちゃんが接客してますから〜♪」と平然と言い放ち、そのまま『春色梅児誉美』を読みまくっていた私。あまりに平然としていたせいか、女将さんの息子さんも無言で去っていきました…。我ながら、あの頃の自分がそら恐ろしいです…。あ、今はそんな世間知らずじゃないですよ…(たぶん…)。


なんてことはどうでもいいとして。そんなわけで、上記のような講座を行いました。もちろん、深川芸者の歴史や、芸者ファッションの変遷、なども解説しました。自分ではとても楽しかったので、またこの内容でやってみたいな〜と思ったりしております。この講座に参加くださった皆様、本当にありがとうございました!


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(注:上記で使用した画像は、すべて井嶋私物の和本です)





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